2019.07.09

村田修一を育てた名監督が現代風に指導
「1年生を潰しちゃいけない」

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu
  • photo by Takagi Yu

 鈴木博識(ひろし)、69歳。栃木・小山高、日大、三菱自動車川崎で投手としてプレー。その後、1981年から85年まで青森商の監督を務め、85年春に東北大会優勝を飾っている。1987年に日大藤沢の監督に就任し、激戦区・神奈川で春夏それぞれ甲子園に出場。96年からは日大の監督として大学選手権で準優勝2回の成績をおさめた。

 日大の監督時代には村田修一(元巨人など)館山昌平(ヤクルト)長野久義(広島)らをはじめ、多くの選手をプロへ送り込んだ。日大藤沢日大で指導を受けた広島・尾形佳紀スカウトも「指導の仕方、試合への準備や選手の乗せ方など、どれもすごかったですね。鈴木監督だから甲子園に行けたと思います」と感慨深く振り返る。

写真左から主将の岡崎雄大、鈴木博識監督、好守の内野手・勢子忠史、留学生の張為瀚 そんな名伯楽は、現在、茨城県にある鹿島学園の監督を務めている。就任4年目となる今春は茨城大会で準決勝に進出。シード校としてこの夏を戦う。

 時代は移れど「野球を好きで始めたのだから、野球をできない環境をつくらないようにしよう」という志は不変だ。そこには故障防止はもちろんのこと、経済的事情を鑑みての進路相談、不要な上下関係の排除など広い意味が含まれる。

 そして「野球の楽しさを伝えて、嫌いにさせない」ための座学も重んじる。雨が降れば、技術だけでなく野球の細かなルールや戦術など、時に日大監督時代につくった野球教本を配布して伝えることもある。

 こうして今では3年生部員の3分の2が高校卒業後にも野球を続ける意思を示しているという。 

 豊富な経験ゆえにユニークな練習も多い。取材したこの日は、打撃投手がバッターに近い距離から防球ネット越しに座って投球し、それを打つフリー打撃が行なわれていた。当然そのボールは緩い山なりの球だが「速い球はタイミングさえ合えば打てる。大事なのは”正確にとらえる”ということなんです」と鈴木は言う。強く、積極的に振ることを推奨し、そのなかでバットの芯で球をとらえるよう導いていく。

「日大の監督時代にキューバへ行った時のことです。キューバの選手たちは70歳くらいのコーチが打撃練習で投げていても、試合では150キロを打つんですよね」