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無警戒の元エースが復活→快投。
明豊「投手王国」完成で優勝に現実味 (2ページ目)

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 状態のいい寺迫を先発で使ってみたいと考えた川崎監督は、投手を担当している赤峰部長に相談すると「今のツーシームならサードゴロをたくさん取れるはず。十分行けますよ」と太鼓判を押されたことで決断したという。

 本人に伝えたのは試合前日で、寺迫は「ウズウズしていた」と満面の笑みで応えた。

 寺迫の力投をスタンドで見ていた溝上勇(現・成学院大)は、2017年夏の甲子園で明豊の背番号18を背負い、ベスト8進出に貢献した右腕だ。溝上も右肩の故障で1年半を棒に振ったが、今回の寺迫と同じように甲子園直前にメンバー入りして好投。大学までプレーする道を切り拓いた。

「走者を背負っても堂々としていましたね。野手を信じきっているなと感じました。今大会の寺迫は1イニングでも投げることに意味があると思っていました。それが1イニングどころか5イニングも経験できた。普段は内心をさらけ出すことはなかなかありませんが、誰よりも努力できるヤツだということは、僕が一番知っています。彼の野球人生においても、すごく大きな登板だったのではないでしょうか」(溝上)

 試合後に「100点満点の投球だった」と寺迫を称えた川崎監督は、大会前にこんなことを語っていた。

「(寺迫は)ウチで一番経験のある投手。困った時、本当に大事な場面では彼に頼ることになるでしょう」

 明豊は最大のヤマ場と睨んだ準々決勝を、エースの復活によって乗り越えた。試合後、多くの報道陣に囲まれた寺迫は、硬い表情を崩すことなく、こう言い切った。

「自分のなかでは、あくまでエースだと思っています。今日は自分が主役の投球ができました」

 もともと強打のイメージが強かった明豊だが、試合ごとに安定感を増す投手陣。初の日本一も現実味を帯びてきた。

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