「名門の灯を消すわけにはいかない」
PL出身独立リーガーの尽きない想い (2ページ目)
岡本がPLに進んだ最大の理由は、清原和博への憧れからだった。平成6年生まれの岡本が高校時代の清原を知っているはずもないのだが、清原ファンだった父が何度もビデオを見せてくれたという。
「野球をやるなら、あんなバッターになれ」
父の教えは、岡本に未来予想図を描かせた。小学5年の時には、PL学園に進むと決意。中学に上がる頃には、地元では敵なしのスラッガーとなっていた。
そして複数あった名門校の誘いには目もくれず、迷うことなくPLへと進んだ。厳しいタテ関係の寮生活については聞き及んでいたが、岡本の想像をはるかに超えるものだった。それでも「自分を成長させてくれるため」と前向きにとらえた。その思いは今も変わっていない。
「覚悟の上で入ったので......。親からも『覚悟していけ』と言われていましたし、中学でお世話になったボーイズリーグの監督からも『しっかり指導してもらってこい』と。実際、思っていた以上のことは結構あったんですけど、すごく勉強になりました。世の中どこも理不尽なことが多いですけど、これから生きていく上でそういうことが日常にあるとしても、PLでの経験があれば、メンタルがそう狂うこともないと思います」
岡本にとって"プロ"が現実の目標となったのは、2年の秋だった。1学年上の吉川と勧野がドラフトで指名されたのを見て、「よし自分も」と気持ちを固めた。
しかし最上級生となり、名門の4番を張ったものの自らの現在地を悟った岡本はプロ志望届を出すことなく、大学進学の道を選んだ。
「やっぱり、そう簡単に行ける場所ではないなって。監督からも『まずは大学に行きなさい』と言われましたし......」
立正大学に進んだ岡本だったが、ここで肩を痛めてしまう。打力を生かすべくサードへのコンバートも模索されたが、結局、プロへアピールするはずだった4年間は不本意なものとなってしまった。
気がつけば、大学卒業後の進路を考える時期になったが、岡本に野球を辞めるという選択肢はなかった。
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