斬新なトレーニング理論から誕生。イチローも試してビックリのスパイク (3ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota

「ビモロバー」を中心に配置された計13本の金具 photo by Inoue Kota「ビモロバー」を中心に配置された計13本の金具 photo by Inoue Kota

 2011年の春季キャンプで、山本氏は右足首を脱臼。腱固定手術を受けたが、当時45歳のベテラン左腕の故障は「再起不能」と言われた。積み上げてきた連続登板、勝ち星などの記録は一度途絶えることになったが、初動負荷トレーニングを含めた懸命なリハビリと調整を経て、2012年には球団最多となる通算212勝を挙げた。2012年オフからビモロスパイクを着用し、脚の心配がまったくなくなった。そして、2015年まで現役を続けた。

 こうして誕生したビモロスパイクだったが、一般販売を開始し、多くのユーザーに流通するまでの過程も一筋縄ではなかったという。

「これまでは多くの選手の足にスパイクがフィットするのではなく、選手がスパイクに"合わせている"。この現状を打ち破るためには、サイズを細分化して金型を用意する必要があるんですが、こちらが求めるサイズ展開、クオリティでスパイクを製造してくれる職人や工場に出会うまでが大変でした。しかも、製作費は莫大。幸いに腕のいい靴職人さんに巡り合うことができて、数は限られますが、一般向けにも製造できるようになりました」

 2014年から一般流通を開始し、小山氏がトレーニング指導を担当する関係校を中心に販売を行なった。現在は白×紺、白×赤のカラータイプも販売されているが、当時は「高校球児の使用を考慮して」黒一色のみの展開としていた。こうして、少数ながらも販売が開始されたことが、イチローとビモロスパイクを繋げる"きっかけ"となる。

 先述の通り、2015年のシーズンから、イチローはビモロスパイクを公式戦で使用している。毎オフには鳥取に足を運び、小山氏の指導の下で初動負荷トレーニングに励み、自宅や球場にも自費で購入したマシンを設置し、愛用している。こうした小山氏、初動負荷理論との深い繋がりから、ビモロスパイクの使用に至った......。こう捉えられがちだが、小山氏が「イチローくんがビモロスパイクを使うなんて思いもしなかった」と振り返るように、実状は少々異なる。

「2014年からビモロスパイクの販売を開始しましたが、数もそう多くなかったので、馴染みのある学校や、オフにトレーニングに来ていて、『黒でもかまわないので、練習で使いたい』というプロ選手を中心に使ってもらっていました。イチローくんには長年契約しているスパイクのメーカーもありましたし、特にビモロスパイクの話をしたことはなかったんです。でも、そんなときに彼から『ビモロスパイク、いいですね』と電話があって。『何で知ってるの?』と驚きました」

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