2018.08.16

レジェンド始球式に登場する金村義明。
荒木大輔と戦ったあの夏の真実

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

1981年に夏の甲子園を制し、マウンド上で喜ぶ報徳学園の金村 8月17日、夏の甲子園100回大会の「レジェンド始球式」に、報徳学園(兵庫)出身の金村義明氏が登場する。バラエティ番組での活躍しか見たことがない世代は、1981年夏の甲子園で日本一投手になった彼の本当のすごさを知らないだろう。

 エースで四番。投打で違いを見せつけた金村氏が、「甲子園のアイドル」との激闘を経て頂点に立つまでの裏側を語りつくす。

槙原寛己の投球を見て下した決断

 1980年夏、早稲田実業(当時、東東京代表)の荒木大輔が甲子園に降臨し、日本中の女子高生の視線をひとり占めしているとき、報徳学園の2年生、金村義明は歯噛みしていた。その夏の兵庫大会決勝で敗れ、甲子園出場を阻まれたからだ。全国デビュー前の金村は、荒木をこう見ていた。

「荒木が1年生で大ヒーローになったからね。僕はあと一歩のところで甲子園を逃したこともあって、悔しい思いで見てました。『すごいアイドルが出てきたな』と。でも、そのときは『いずれこいつを倒してやろう』なんて思わなかった。ブラウン管の向こう側にいるスーパースターを見る感じ。ジェラシーしかなかった。とにかく、甲子園に出たかった」

 エースでクリーンアップを打っていた金村は、1981年春のセンバツで初めて甲子園のマウンドに立った。投げ合ったのは大府(愛知)の槙原寛己。のちに読売ジャイアンツで活躍する大型投手だった。槙原の剛速球が金村に与えた衝撃は相当なものだった。

「試合前に大府の選手たちのところに行って、『槙原、どこや~、かかってこいや!』とカマしたんやけどね(笑)。彼がブルペンで投げてるときからザワザワしてて、試合で1球投げた瞬間にベンチも球場もシーンとなった。あんなボールは初めて見たよ。自分のなかで一番速いピッチャーは槙原。上には上がいて、自分が井の中の蛙だということを思い知らされました」