2018.08.16

憧れは松坂大輔。斎藤佑樹が甲子園で
つくり上げた「下剋上ストーリー」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • スポルティーバ、市川光治(光スタジオ)●写真 photo by Sportiva,Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

【短期連載】夏の甲子園「優勝投手」インタビュー~斎藤佑樹編

 2006年夏、史上初の選手権3連覇を目指す駒大苫小牧の前に立ちはだかったのが、早稲田実業のエース・斎藤佑樹だった。決勝での田中将大との息詰まる投手戦は延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合に。その翌日の試合でも斎藤はひとりで投げ抜き、4-3で勝利。夏の甲子園初制覇を果たした。あれから12年、あらためてあの夏の激闘を斎藤佑樹に語ってもらった。

決勝再試合で最後の打者・田中将大から三振を奪い、喜びを爆発させる早実・斎藤佑樹

―― 子どもの頃、テレビで甲子園の高校野球は観ていましたか。

「いや、そんなに見てませんでした。でも、小学校4年生のときだったかな。松坂(大輔)さんの横浜高校の試合はずっと観ていました」

―― 夏の甲子園で優勝するということは、小学生の頃から目標だったんですか。

「ハイ、ずっと松坂さんは憧れでしたし、目標でした。それをハッキリ思い描いたのは早実に入ったそのかな。3年になったには、松坂さんのように甲子園で優勝したいと思っていました。2年の秋、新チームになったにその目標が自分の中で色濃くなってきて、センバツへの出場が決まったにはもう、しっかりとした目標になっていました」

―― 1998年の横浜高校は春夏連覇でしたから、センバツ出場が決まって、松坂投手と同じように春夏連覇を目指す資格を得た、という感じだったのでしょうか。

「そうですね……でも、それはセンバツに出られたというだけでなく、秋の東京都大会で日大三高に勝ったから、ということが大きかったと思います。甲子園で優勝しているようなチームと戦って、勝てた。しかも、初めて早実の1番を背負わせてもらった2年の夏には、三高に負けてしまいました。あのときは自分なりにいいピッチングをして、手を尽くし切ったのに、それでもやられたんです」

―― 1-8のコールド負け。ホームランを2本、打たれたんですよね。

「僕の得意な球をちゃんと投げたのに、それを打たれました。そのうちの一本は高めのボール球をスタンドまで持っていかれたんです。自分の真っすぐ、本当に力がないんだなと思い知らされました。全部を振り切られている感じで、あんな経験をしたことはなかった……本当にショックでした」