最後まで自分の仕事を。済美の名脇役が
呼び込んだ逆転サヨナラ満塁弾 (3ページ目)
13-11。2時間55分の激闘は大会初の逆転満塁サヨナラホームランで幕を閉じた。エース・山口の184球の粘投、矢野のホームランがなければ済美に勝利は訪れなかったが、政吉の仕事にはそれらと同等の価値があった。チームを勇気づける1点目のきっかけとなった二塁打、逆転スリーランホームラン、タイブレークで大きくチャンスを広げたセーフティバント。
ヒーローの座を矢野に譲った形になった政吉は言う。
「試合の途中で、『ダメかな・・・・・・力の差があるな』と思ってあきらめかけましたが、山口が打たせて取るピッチングをして、内野手がしっかり守ってくれて、取るべきアウトをしっかり取れたから流れがきたんだと思います。『あきらめんかったら、何かが起こる』とずっと考えていました。
打席では、次のバッターにつなげることしか考えていません。一番の矢野に回すのが自分の仕事です。『矢野に、矢野に』という意識が8回裏はホームランにつながったんやと思います」
その意識があったからこそ、政吉は最後まで自分の仕事を忘れなかった。ホームランを打っても、あくまで"脇役"に徹したことが劇的な勝利につながったのだ。
「甲子園の100回記念大会は憧れの場所でした。一生に一回のことですし、楽しくできたかなと思います。大舞台でこんなことになるとは考えもしませんでした。想像以上の力が出ましたね。お客さんの声援にも乗せられて」
2点ビハインドの緊迫した場面でセーフティバントを成功させることができたのは、練習の賜物(たまもの)だ。
「ずっとセーフティバントの練習をしてきたので、それが生きたかな」
大きな勝利を呼び込んだ仕事人は、泥だらけの顔で笑った。
荒木大輔のいた1980年の甲子園
好評発売中!!
高校野球の歴史のなかでも、もっとも熱く、
もっとも特異な荒木大輔フィーバーの真実に迫る
圧巻のスポーツ・ノンフィクション。
スポルティーバの連載で掲載しきれなかった
エピソードも多数収録されています。
3 / 3