ライバルが見た荒木大輔の早実は
「何かに守られているように強かった」 (6ページ目)
もし、大輔の早実と桑田・清原のPL学園が対戦したら、いい勝負になりそうな気がします。戦力を比較すれば勝てるはずがないけど、早実の選手たちは、あのユニフォームを着て、球場で『紺碧の空(早稲田大学の応援歌)』が流れると、違う選手みたいになりますから。
その中心にいた大輔は、カーブはいいけどストレートは130km後半。「全然打てない」とバッターが頭を抱えるほどではない。彼の"ピッチャーとしてのすごさ"はどこにあったのかとあらためて考えると、気持ちの入れ方のうまさにあったような気がします。
今ではよく「ギアを上げる」という言い方をしますが、ピンチになったときの心のコントロールが他のピッチャーとはまったく違いましたね。打たれてもいい場面ではそれほど力を入れないけど、抑えなければいけない場面で驚くようなボールを投げる。豊富なマウンド経験によって培われたメンタルの強さが彼にはありました。
150kmを超えるストレートを投げても、打たれるピッチャーは打たれます。コースを厳しく突いても、打ち返されることもある。でも、大輔はど真ん中に投げても打たれないピッチャーでした。
大輔は1年生のときからマウンドに立ち続けていたので、高校3年間で体のいろいろなところにガタがきていたんじゃないかと思います。高校時代にもう少し休むことができて、プロに入ってからの故障がなければ、もっと素晴らしい実績を残せていたかもしれません。
でも、プロ野球での成功と甲子園での活躍を天秤にかけたなら、大輔は甲子園を選ぶんじゃないでしょうか。本人に聞いてみないとわかりませんが、おそらく「高校時代に悔いはない」と言うはずです。敵のチームにいた僕から見ても、それくらい大輔の3年間はすごかったですよ。
6 / 6