ライバルが見た荒木大輔の早実は「何かに守られているように強かった」 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 初の甲子園で、決勝まで無失点の好投を続けた大輔もすごかったんですが、大輔と同じ1年生の小沢章一、2年生の小山寛陽さんや高橋公一さんも活躍していたから、「オレたちは一度も甲子園に行けないかも......」と不安になったものです。僕が練習試合でいくら活躍しても、早実の選手たちは甲子園で完封したり、タイムリーを打ったりしている。「差は広がるばかりだな」と。

 あの夏の練習は暑くて苦しくて、希望のない夏でした。合宿中に新聞やテレビは見られなかったんですが、グラウンドを往復する車内で聞くラジオからは、大輔の活躍が嫌というほど流れてきましたしね。

 背番号11の荒木大輔は、初戦の北陽(大阪)戦で1安打完封。横浜(神奈川)との決勝戦まで、44回3分の1を無失点に抑える好投を見せた。あと1イニングを0点に抑えていたら、荒木は甲子園の連続イニング無失点記録を更新していた。

1年生エースとして甲子園で勝利を重ねた荒木1年生エースとして甲子園で勝利を重ねた荒木 東東京大会の決勝戦で対戦して、大輔がいいピッチャーだということはわかっていましたが、夏の甲子園での快進撃は想像以上でした。早実に負けた直後は「次こそ勝ってやる」と思っていたのですが、甲子園での大輔はそんなことも考えられないくらいの活躍で......。僕らも「大輔に勝つ」というエネルギーは湧いていませんでした。

 同年の秋の東京大会で、僕らは神宮第二球場で修徳と戦い、7回までは勝っていました。でも、他球場で試合をしていた早実が勝ったという場内アナウンスが流れた瞬間に、先発投手の僕は降板させられました。

 次の早実戦のために温存しようと監督が考えたからだと思います。でも、代わったピッチャーが打たれて同点になり、再びマウンドに上がった僕が打たれてサヨナラ負け。このとき、その悔しさを晴らすためにも、「早実に勝ちたい、やっつけたい」という気持ちが強くなりました。

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