2018.04.20

【イップスの深層】
土橋勝征が悩んだ送球難。
「でも僕はイップスじゃない」

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Jiji Photo

連載第13回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・土橋勝征(1)

(前回の記事はこちら)

内外野をこなせるユーティリティープレーヤーとして活躍した土橋勝征 インタビューを始めて1時間あまりが経過したころ、土橋勝征(かつゆき)は遠くを見つめながらポツリとこう漏らした。

「取材を受けているのにこんなことを言うのもどうかと思うけど、僕は”イップス”というものではなかったのかもしれないなぁ」

 現役時代を知る野球ファンは、土橋勝征というプレーヤーをどのように記憶しているだろうか。

「野村ID野球の体現者」「バットを極端に短く握るコンパクトな打撃」「どこでも守れるユーティリティープレーヤー」「メガネをかけた物静かな職人」「村上春樹のお気に入りの選手」……そのような玄人好みのイメージを抱くファンが大半だろう。

 だが、土橋が引退した前後から「土橋はイップスだった」という情報が表に出てくるようになった。あの守備の名手がイップスだったなんて――。衝撃を受けた野球ファンも多かったかもしれない。

 しかし、土橋へのインタビューを進めていくうちに「これはイップスではないのではないか?」というムードが色濃くなっていった。

 現代の野球界では送球難、制球難に陥(おちい)ると、なんでもかんでも”イップス”とされる風潮がある。しかし、土橋のケースをもとに「イップスとは何か?」ということをあらためて考えてみたい。

「送球のエラーが多かったのは事実です」
 
 土橋はそう打ち明ける。高校時代から肩はずば抜けて強かったが、時折、送球エラーをすることがあったという。

「ピッチャーをやっていて、なんでもないピッチャーゴロをファーストに暴投したり、ショートをやっていて、短い距離なのにセカンドに悪送球したり。自分なりに『送球が下手』という自覚はありましたよ」

 監督から悪送球をとがめられることもたびたびあったが、「次はなんとかうまくやらなきゃな」と考える程度で、萎縮するようなタイプではなかった。

 知る人ぞ知ることだが、千葉の印旛(いんば)高(現・印旛明誠高)時代の土橋は超高校級のスラッガーとして名を馳せていた。1986年のドラフト会議でヤクルトから2位指名を受けた際も、本人いわく「どちらかと言えばバッティングを期待されていた部類だと思う」という存在だった。