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ドラフト1位の残像。一軍登板ゼロの
辻内崇伸が、クビを覚悟したとき (2ページ目)

  • 田崎健太●文 text by Tazaki Kenta
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

―― 夏の甲子園2回戦の藤代(茨城)戦では、当時の大会タイ記録となる19奪三振を記録。あのときは打たれない自信があったんじゃないですか。

「自信はなかったです。ホンマにあれ、奇跡なんですよ。ただ、きれいな(回転の)ボールを投げたいと思っていました。なんであんな高めのクソボールを振るんですかね。『なんで振ってくれるんやろな、ラッキー』と思いながら投げてました」

―― 夏の甲子園の後も9月に韓国で行なわれたアジアAAA野球選手権の日本代表に選出されます。韓国との決勝戦に登板し、金メダル獲得に貢献。2005年のドラフト会議で最も注目を集める存在になりました。プロでやっていく自信はありましたか?

「(僕は)球が速いだけ。スピードがなかったら取り柄がない。そんなんでプロ行けるのかなというのがありました。平田のようにホームランを量産しているわけでもない。中田はバッティングもいいけど、ピッチャーとしても凄い。僕は『指名していただけるならありがたい』と思っていました」

■無理するところが違っていた

―― ドラフト会議ではオリックス・バファローズとの抽選の末、読売ジャイアンツが交渉権を獲得。1年目の春季キャンプでは二軍スタートながら大きな注目を集めました。

「キャンプでは(練習の)最初と最後に囲み取材があるんです。でも(毎日囲み取材で)話すことなんかないんです。でも、(記者は)なんか言わせたい。言葉を膨らませて書かれることはわかっていたので、僕は言わない。向こうは(捕手の)阿部(慎之助)さんに叱られたとか、そういうのを書きたいんです。ああ、これがドラフト1位の宿命なんやと......」

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