2017.10.27

ドラフト1位の残像。一軍登板ゼロの
辻内崇伸が、クビを覚悟したとき

  • 田崎健太●文 text by Tazaki Kenta
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

 2005年の夏の甲子園で、当時大会タイ記録となる1試合19奪三振をマークし、大阪桐蔭をベスト4に導いた辻内崇伸。しかし、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団したものの、度重なる故障により思うような投球ができず、一軍公式戦で投げることのないまま2013年に現役を引退した。甲子園という華やかな舞台で脚光を浴びた一方で、”ドラフト1位”という肩書きへの苦労、プロ野球の厳しさを味わった。書籍『ドライチ』(カンゼン刊)のなかで辻内が赤裸々に語った。

2005年の夏、大阪桐蔭のエースとしてチームをベスト4に導いた辻内崇伸■なんで振ってくれるんやろなって思って投げていました

―― 背番号1を背負った3年夏の甲子園では同学年の平田良介(現・中日)、2学年下の中田翔(現・日本ハム)らとともにベスト4入り。大阪桐蔭では1年生のときから目を引く存在だったんでしょうか?

「入学当初は”平民”っすね。いや、平民以下でした。特待、準特、セレクションがいたなかで、僕たちセレクション組は静かにしていました。2学年上に三島輝史(03年にロッテからドラフト5位で指名)さんがいて、1学年上にも凄い人がたくさんいた。そして同級生に平田がいて……。平田は体つきがまず1年生じゃなかったです」

―― 躍動感のあるフォームから繰り出される150キロのストレートが甲子園では大きな注目を集めました。何がきっかけで球が速くなったのでしょうか?

「高校に入る前は128キロぐらい。(大阪桐蔭・西谷浩一)監督にはとにかく下半身を徹底的に鍛えられました。それでピッチングをしたら、『オレ、こんな速かったっけ』みたいな感じで、140キロぐらい出るようになっていたんです。下半身をやっておけば間違いないです」