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「これがオレの生きる道」。
変則フォームで戦う球児たちの心意気 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 甲子園初戦で対戦した横浜(神奈川)には、小学6年時に「NPB12球団ジュニアトーナメント」で東北楽天ジュニアに渡辺とともに選出され、チームメイトとして戦った公家響がいる。すっかり変貌を遂げていた旧友について、公家は「小学生の頃はもっと普通の投げ方でした」と証言する。

 ただし、衝撃を受けるほどのことではなかった。渡辺のキャラクターを知っている分、納得がいくところもあったからだ。公家が続ける。

「もともと、(渡辺は)性格的に普通じゃなかったので(笑)。短期間しか一緒じゃなかったですけど、何を考えているのかちょっとわからないところもありました。だから映像を見た時も『あぁ~、今はこういう感じか』って(笑)」

 横浜のある選手は「見たことがないフォームだけど、そこまで気にすることはないと思う。結局、ストライクゾーンに来れば一緒なので」とクールに話していた。そして、いざ試合に入ると公家が渡辺から3ランホームランを叩き込むなど、7対1で横浜が完勝。渡辺は8回を投げて14被安打、5奪三振、2四球、7失点と打ち込まれた。

 結果的に、変則フォームが全国屈指の横浜打線に通用したとは言いがたい。だが、このフォームがなければ、フォームを見失っていた渡辺が甲子園マウンドにたどり着くことはなかったのだろう。

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