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最後の夏へ。PL学園が球界に遺した81人のプロ選手と功績 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

   文武両道を掲げ、力強く繁栄の道を歩み始めた時代。先述したように、甲子園の先には「野球界に貢献する人物を育てる」という期待があった。

 80年代の黄金期を知るあるOBは、「現役でプレーしている選手に"PL"を感じることがあります」と語る。

「全盛期を過ぎて、『もうここまでかな』というところから、もうひと粘りする。その姿に、『ああ、やっぱりPLの選手や。根性が違う』と思うんです」

  現在も松井稼頭央や福留が大ベテランになってもチームの柱としてプレーを続けている。現役最後にメジャー挑戦した桑田や、晩年は代打の切り札として活躍し た立浪和義や片岡篤史......。OBが言うように、グラウンドに立ち続けるその生き様に"PLの精神"が伝わってくることがあった。

 そしてPLの球界に対する貢献は、プロ野球の世界に限ったことではない。高校野球の世界にも多大な影響を与えてきた。たとえば、"野球留学"という今の流れを加速させたのは、PLという声は多い。

 野球留学は80年前後に甲子園で活躍した倉吉北(鳥取)や尽誠学園(香川)、明徳義塾(高知)らの活躍とともに社会問題として取りざたされた時期もあった。大阪で30年以上、中学生の硬式野球チームに関わるある指導者は、「この背景には、PLの強さがあった」と語る。

「野 球留学が広まっていったときは、まさにPLの黄金期。それでなくても当時の大阪は参加が200校ほどある激戦区で、甲子園にたどり着くのは至難の業。そこ に、強すぎるPLが現れ、子どもたちの中にも、送り出す僕らの中にも、PLから声が掛かる力のある選手はPL、それ以外なら地方という選択をしていたのは 事実です」

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