2016.07.14

最後の夏へ。PL学園が球界に遺した81人のプロ選手と功績

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 PL学園の強さを伝える術はいくつもある。たとえば、1961年の初出場から50年あまりで37回の甲子園出場を果たし、歴代3位となる通算96勝 (30敗)。その間、中村順司氏が監督を務めた1976年から98年は58勝10敗、勝率.853という驚異的な記録を残した。さらに、桑田真澄、清原和 博のKKコンビ在籍時は、5季連続出場を果たし、優勝2回、準優勝2回という、高校野球史に残る成績をおさめた。なにより、プロに輩出した選手の数がPL 学園のすごさを物語っている。

春夏通じて7度の全国制覇を達成したPL学園 かつて、大阪で"打倒・PL"に燃えたライバル校の選手からこんな話を聞いたことがある。

「強豪校ではよく"黄金期"という言い方をしますけど、PLにはそう言われる時代が何度もあった。僕らのときも、PL学園の歴史の中ではそこまで目立っていませんが、のちにプロになる選手が3人もいました」

 この選手が言う時代には、エースが宇高伸次で、ショートに2年生の福留孝介がおり、センターにサブローがいた。このように、のちにプロに進む選手が何人もいることは決して珍しいことではなく、KKコンビの時代には5人もの選手がプロ入りを果たしている。

「野球界に貢献する人物を育てる。これが教祖の思いでした」

 1983年に亡くなったPL教団2代目教祖・御木徳近(みき・とくちか)の理念を、傍らで仕えていた者から聞いたことがある。70年代から80年代にかけて、PL学園にはこんな標語が校内のいたるところに貼られていたという。

「勉強は東大、野球は甲子園」