近鉄「いてまえ魂」を受け継ぐ男、三田学園高監督・羽田耕一の挑戦 (2ページ目)
1988年の近鉄のラストバッター、羽田耕一は現在、兵庫・三田(さんだ)学園高校の監督を務めている。89年に近鉄を引退後は打撃コーチや球団フロントを務め、オリックスとの球団合併後はオリックスグループの職員として勤務した。少年野球大会の運営や野球教室の開催など、野球の普及に尽力しながら、体力が続く限りは勤め上げるつもりでいた。そんな羽田に「高校野球の監督就任」という話を持ちかけてきたのが、母校の三田学園だった。
「OB会から『三田学園の野球部を変えてほしい。もう一度強くしてほしい』と。もともと高校野球の指導に興味はあったんです。プロの技術を高校生に教えれば、変わるんじゃないか? そんな思いもありました」
プロ・アマの半世紀にわたる断絶の歴史があったため、元プロ野球選手で高校野球の指導者になれるのは実務経験のある教員に限られていた。だが、多くの関係者が雪解けのために奔走し、そのかいあって2013年には規制が大幅に緩和された。プロ側の講習を1日、アマ側の講習を2日受講して適性が認められれば、元プロ野球選手でも学生野球の指導者になれるようになったのだ。この規制緩和を受けて、三田学園から羽田に監督就任要請が来たのだった。
「家内に話をしてね、最初は『大変だから......』と反対された。オリックスを辞めて(高校の)監督になれば、給料も下がるしね」
悩んだ末に、それでも羽田は再び勝負の世界に戻ることを決意する。2015年1月30日に指導者資格を回復し、その直後に61歳にして「新人監督」となった。
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