八重高か八重商か。石垣島の野球少年たちの、それぞれの決断

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

遥かなる甲子園~八重山高校野球部物語(中編)

 昨年の秋季大会で、初めて沖縄県の頂点に立った八重山高校(愛称・八重高)。

 もし、その後の九州大会、準々決勝で秀岳館に勝っていれば......。

 せっかく候補に挙がった21世紀枠で、センバツに選ばれていれば......。

 今春、間違いなく、八重高は甲子園へあと一歩のところにいた。八重高にとっては1988年の夏、沖縄大会の決勝戦に勝ち進んで以来、28年ぶりのことだった。

2006年に春夏連続して甲子園出場を果たした八重山商工の伊志嶺監督2006年に春夏連続して甲子園出場を果たした八重山商工の伊志嶺監督

 それでも、桜は咲かなかった。

 約100人のメディア、保護者ら関係者は「21世紀枠、補欠校の2番手」という知らせに落胆した。八重高の仲里真澄監督は、「八重高がもっとも甲子園に近づいた瞬間だった」と語り、「夏は自分たちの力で甲子園をつかみとりたい」と懸命に前を向いた。

 しかし再出発のはずだった春――いきなり八重高は躓(つまず)く。

 春の大会、第1シードながら、エースの仲山流斗がケガで投げられなかったこともあって、八重高は前原に2-3と、まさかの初戦敗退を喫した。

 その後、3年生6人による2年生への暴力的な行為が発覚、6月5日までの対外試合禁止処分を受けることとなる。

 頂上まであと一歩のところから、あっという間にどん底へ......それでも八重高にチャンスは残った。処分解禁から間もないとはいえ、夏の大会への出場は可能になったのだ。

 6月7日、夏の沖縄大会の組み合わせ抽選会が行なわれた。

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