2016.06.29

離島からの甲子園。28年前から続く石垣島・八重山高の試練

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by sportiva

遥かなる甲子園~八重山高校野球部物語(前編)

 離島の高校、田舎の分校、弱小だった公立校。

 そんな高校の野球部が、名門といわれる各地の強豪校を撃破して、甲子園にコマを進める――そんなマンガのような出来事がいつか現実にならないだろうか。最初にそんなことを思い描いたのは、日本南端の島から奇跡のような物語が届いたからだった。

昨年秋の沖縄大会を制した八重山高校

 今を遡(さかのぼ)ること、28年。

 1988年の夏、沖縄大会の決勝戦は、あまりに聞き慣れた強豪校と、初めて耳にする馴染みのない高校の対戦となっていた。

 沖縄水産対八重山。

 当時の沖縄水産は、その前年まで4年連続で甲子園へ出場。1976年から豊見城を率いて、沖縄勢を3年連続、甲子園のベスト8に導いた栽弘義が監督を務めていた。栽監督は、豊見城では叶わなかった"オール沖縄"を沖縄水産で実現。沖縄中の有力な中学生を根こそぎ集め、沖縄の総力を結集して全国制覇へ挑まんとする、その夢の真っ只中にいた。

 そして決勝の相手は、八重山......?

 八重山高校は、那覇から南西へ約400キロの石垣島にある県立高校で、地元では八重高(やえこう)の愛称で知られている。その当時、沖縄では「大臣が先か、離島から甲子園に行くのが先か」と言われており、さまざまなハンディを抱える離島勢が沖縄を勝ち上がるのは至難の業とされていた。それでもこの年の八重高は準々決勝で延長の末、美里を下し、準決勝で豊見城を圧倒。ついに決勝戦まで勝ち上がり、石垣島の人々を狂喜させた。