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離島からの甲子園。28年前から続く石垣島・八重山高の試練 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by sportiva

 しかし――。

 1988年、沖縄大会決勝。

 沖縄水産8-0八重山。

 勢いに乗っていた八重高も、沖縄水産には歯が立たなかった。この夏、甲子園でベスト4まで勝ち上がり、地元では"オール沖縄"と囁かれていた当時の沖縄水産には、石垣島出身のレギュラーが3人もいたのである。彼らがもし八重高にいたら......石垣島の悲願を思えば、逃した魚はあまりにも大きすぎた。

 そして、八重高はその後、幾度となく夏の沖縄大会を勝ち上がる。

 翌89年には3回戦で沖縄水産と引き分け再試合の後、敗退。1991年、1994年、2003年にはベスト8へ進出。いつの日か、離島から甲子園へ......石垣島でその夢をけん引していたのは、間違いなく、八重高だった。

 その間、沖縄の高校野球は劇的に前へ進んだ。1990年代、栽監督の沖縄水産は2年続けて夏の甲子園での準優勝を果たし、1999年にはついに沖縄尚学が春のセンバツで初優勝、沖縄勢として初の全国制覇を成し遂げる。

 そんな中、石垣島にもある"歓喜"がもたらされた。

 2001年の夏、少年野球の甲子園といわれる第21回全日本学童軟式野球大会で、石垣島の『八島マリンズ』が初優勝を成し遂げたのである。凱旋パレードに沸いた石垣島の島民は、離島に日本一をもたらした小学生たちを大歓声で出迎えた。さらにこの翌年、八島マリンズのメンバーが中心となった中学生のポニーリーグ『八重山ポニーズ』がアジア太平洋予選を勝ち抜き、日本代表としてワールドシリーズに出場。準決勝まで勝ち進んで、堂々の世界3位に輝いたのだ。ポニーズは2003年には日本選手権でも優勝、石垣島はふたたび日本一の歓喜に沸く。

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