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離島からの甲子園。28年前から続く石垣島・八重山高の試練 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by sportiva

 八重商の躍進で、石垣島の風向きは変わった。

 長年、活動を続けてきた『八重高を甲子園へ行かす会』は、『八重山を甲子園へ行かす会』に名称を改めた。野球の上手い石垣島の中学生の進路には、甲子園へ行きたいなら八重商、高校野球の監督になりたいなら八重高という流れができた。それでも八重高は、八重商が甲子園へ出場して以降の9年間で、ベスト8に3度、ベスト4にも2度、勝ち進んでいる。同じ9年間でベスト4が1度だけの八重商よりも、はるかに甲子園に近づいていたのだ。

 そんな八重高に、ついに桜が咲く日がやってくる……誰もがそう思った。

 去年の新人大会に続き、秋季大会で八重高はついに初優勝を遂げたのだ。初めて沖縄大会の頂点に立ったのである。

 しかし――。

 九州大会では初戦を突破しながら、準々決勝で熊本の秀岳館に敗れ、ベスト8止まり。八重高のセンバツ出場は絶望的となった。それでも21世紀枠の候補として名前が挙がり、メディアはセンバツ出場の可能性は低くないと伝えていた。今度こそ、今度こそ、近くて遠い甲子園に出場できるかもしれない……そう願っていた八重高に、やっぱり吉報は届かなかった。八重高は21世紀枠の3校から漏れ、補欠校の2番手。春、夏を通じて初の甲子園出場という悲願は、またも叶うことはなかった。

 近いような気がしていたのに、やっぱり遠い甲子園。

 みんなで切り替えて、甲子園にもっとも近づいたこの同じチームで挑む夏こそ、必ず……そう誓っていた八重高には、この後、まさかの試練が待っていたのである。

(中編に続く)

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