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【都市対抗野球】ミスター社会人・西郷泰之、最多本塁打記録への挑戦 (3ページ目)

  • 中里浩章●文 text by Nakasato Hiroaki
  • 荒川祐史●写真 photo by Arakawa Yuji

 翌2000年、西郷は就任したばかりの垣野多鶴(かきの・たづる)監督の下で大活躍。チームを都市対抗初優勝に導き、橋戸賞(MVP)を獲得した。さらに同年、交際していた美保さんと結婚。先述の入院時は毎日お見舞いに来てくれていたという。翌年には長男も生まれ、守るべき家族が増えた。

「結婚後に成績が悪くなると、嫁が悪いんじゃないかと思われるかもしれません。子どもが生まれたときも同じ。絶対にそう思わせないためにも、何とかいい結果を残したかった」

 垣野の独特な打撃指導によって西郷は主砲としての貫録を増し、02年にはいすゞ自動車の補強選手として、そして03年にはふたたび三菱川崎を日本一へと導いた。これらを含めた過去6度の優勝経験から、今では優勝請負人とも呼ばれている。

 どの優勝にもそれぞれ違った嬉しさがあるのだろう。そんな質問をぶつけてみると、西郷はこう答えた。

「社会人野球は1チーム約30人前後。同じメンバーでやれるのは1年しかないわけで、みんなで優勝に向かって突き進める面白さがあります。一戦ずつ集中し、決勝戦ですべてを爆発させる。そうやって短期間で一気に盛り上がって勝てたときの充実感を実際に味わうと、終わったときに『また味わいたいな』って思う。これは病みつきですね(笑)」

 その中でも、忘れられないのが2005年の優勝だ。前年の春から、三菱川崎は会社の事情により、活動停止となっていた。

「どうしてできないんだ」
「何のためにやってきたんだ」

 そんな複雑な感情が交錯するが、決定事項だから諦めるしかない。チーム内では、選手同士のつかみ合いの喧嘩も起こるようになった。西郷もまた、虚脱感を覚えていた。

 活動を再開した2005年、都市対抗予選で本大会出場を決めると、チームメイト全員が号泣していたという。本大会では目に見えない一体感があった。絶対に負けられない。全員がそんな想いを持っていた。

「気持ちが動かないと、体って動かない。あのときは心が動いて、体が動いて、みんなが同じ方向へグッと向いていた。優勝して笑顔を見せたとき、『みんなが喜んでいるのっていいなぁ』と思いました」

 だから、西郷は今も、チームの勝利に勝る喜びはないと思っている。

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