在籍わずか3年でも、安英学の引退セレモニーが新潟で開催された理由

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Nikkan Sports/Aflo

アルビレックスサポーターに手を振って応える安英学アルビレックスサポーターに手を振って応える安英学安英学が新潟に、日本に刻んだもの(前編)

 前代未聞だった。北朝鮮代表に招集された際にサポーターたちによって作られた「イギョラ・アンヨンハ」のチャントがビッグスワンを揺るがし、その中を安英学(アン・ヨンハ)が両手を掲げ、ときに目頭を押さえながら進む。

 2017年4月30日、安がスパイクを脱ぐことを、キャリアを始めた新潟の地で報告をした。サポーターが心から別れを惜しんでいることが伝わってくる。こんなに熱を持った引退セレモニーを取材したのは、2001年のドラガン・ストイコビッチ以来である。ただ、あのときはシーズン中ながら、名古屋グランパスが引退までのカウントダウンの表示を始めて盛り上げていたし、ヨーロッパを主戦場とするユーゴスラビア(当時)代表キャプテンでありながら、7年も遠い日本の地で主力としてチームに貢献したことへの答礼的な意味合いも強かった。

 しかし、安が新潟に在籍したのは、たったの3年間に過ぎない。さらに言えばチームを離れて13年が経過している。それでも「今日は試合よりも引退セレモニーに加わりたかったので、久しぶりに(ビッグスワンに)来ました」という声を数多く聞いた。在籍時には生まれていなかったような幼い子どもが、若い両親と一緒に17番のユニフォームを身にまとって歩いているのを見るにつけ、改めて安がこの地でいかに愛されていたかを感じ入った。そして、ふと安がアルビレックス新潟でプレーしたのは天の配剤だったのかもしれないと、思った。

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