元競泳日本代表・今井月が切り拓いた新たな人生 プールからTBS報道局への挑戦 (2ページ目)
【就職活動という新たな挑戦】
中学1年時でシニアレベルのトップスイマーとして台頭した今井さんは、引退するまでの約10年間、世界で戦うことを目指すレベルで競技に打ち込んできた。しかし引退を決断したのは23歳。世間的にはちょうど社会に出る時期でもある。競技ひと筋だった今井さんは、引退後の人生をどのように考えていたのか。
──2024年3月のパリ五輪選考会を区切りに競泳選手として引退しましたが(正式発表は同年9月)、そもそも引退後の人生設計について考え始めたのは、いつ頃ですか。
今井 漠然と考え始めたのは、高校生ぐらいです。兄がテレビ局に入りたいと思っていた影響もあって、なんとなくですが、テレビ局は就職先として少し興味がありました。でも、そのために何かしてきたわけでもなく、大学時代も同級生のように3年の時から就活をしていたわけではありませんでした。
ただ、目指していたパリ五輪の選考会が終わり、現役もやめようと思った時に、すぐに就活しなきゃと思って。その時にテレビ局に入りたいという気持ちが猛烈に出てきました。
──大学を卒業してから2年目のことですよね。どのように就職活動を進めたのですか。
今井 パリ五輪選考会が3月にあり、4月頃に就職活動をしようと思い立ち、インターネットで調べていました。高校生から漠然と興味のあったテレビ局を中心に見ていくなかで、TBSが2025年4月入社の後期採用というものを受け付けていました。条件として、入社時の年齢制限が28歳までと、大学卒業後でも応募ができる仕組みでしたし、私自身は2025年4月入社を希望していたので絶好のチャンス、とにかくこれに受かりたいと思い、就職活動をしました。採用自体は「報道局」「情報局」で限定されていたのですが、これまでスポーツばかりやってきたからこそ、スポーツ以外の世界も見てみたいと思い、報道志望で受けました。
同期入社には大学院卒の社員も多いため、年齢差をあまり感じにくいです。
──一般入社ですよね。
今井 もちろんです! 報道で試験を受ける以上、時事問題は特に勉強しました。例えば、『報道特集』といった弊社の報道ドキュメンタリー番組をたくさん見たり、時事問題の本を買ったりして、その時話題の出来事にはある程度、自分の意見まで言えるように日々興味関心を持つように過ごしていました。
「就活して入社したんだよ」と伝えると、ほとんどの人がとても驚きますけどね。
──最終面接ではどのようなことを話しましたか。
今井 就職活動の面接でよく聞かれると思いますが、「最後に何か言いたいことはありますか」と最後に質問をされた時、「パリ(五輪)の内定はつかめなかったので、この内定だけは本当にいただきたいです」って言いました。そうしたら面接官の皆さんに笑われました。
──ご家族の反応はいかがでしたか。
今井 父親は、私の水泳を見るのが生きがいだったと思うので、就活していることを伝えた時は、本当に辞めてしまうんだなと、たぶんショックだったと思います。でも、特にそういうことも言わずに「就活を頑張れよ」と言ってくれて、内定した時もすごく喜んでくれました。自分としても、水泳をやめたあとも何かに就くことができたという安心感はありました。
――うれしさよりも、ほっとした気持ちが強かった。
今井 ずっと不安だったんです。競技で結果を出せたとしても、その後どうするんだろうと。水泳しかやってこなかったし、世の中の仕組みもよくわからないまま、自分が20代後半、30代になった時にどうなってしまうのか。特に大学を卒業してからパリ五輪選考会を目指した1年間は、そのことを強く感じていました。
大学卒業後はスポンサー契約を結んでいただきましたが、社員契約ではなかったので、やめたあとの保証がなかった。今だから言えることですけど、もしパリ五輪に行けて現役を続けていたとしても、競技引退後の人生を想像すると、怖さを感じる部分もあります。
私、意外に安定思考なんです。競技者は旬があるじゃないですか。それにすがりたくないというか、結果によって収入や人生が変わっていくことに不安を感じるタイプの人間なんです。
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