2013.01.27

【水泳】萩野公介「入江(陵介)さんを越え、フェルプス選手を目標に」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Igarashi Kazuhiro

今年の春から東洋大学に進学する萩野公介選手 ロンドン五輪開会式翌日の競泳初日。最初の種目である男子400m個人メドレーに日本勢一番手として登場した高校3年生の初代表・萩野公介は、優勝候補のマイケル・フェルプスとライアン・ロクテ(ともにアメリカ)という二人の怪物を相手に、度胸のよさをみせた。

 最初のバタフライが6位通過だった萩野は得意の背泳ぎで2位に上がり、平泳ぎを終えると3位でターン。北京五輪で200m自由形を制しているフェルプスが0秒22差の4位で折り返す展開で、メダルの可能性は消えたかに思えた。だがその自由形でさらに突き放し、フェルプスに0秒34差をつける4分08秒94のアジア新で銅メダルを獲得したのだ。

「予選が終わってから平井先生(伯昌・ヘッドコーチ)に4分8秒台はいけると言われていたんです。そのタイムで本当に3番目だったのは良かったし、予選で北京五輪2位のシェー選手(ハンガリー)が落ちたのでいけるかな、と思って。もし彼が決勝に残っていたら、わからなかったけど『ちょっと運が向いてきた。チャンスだな』と思ったんです」

 そんな萩野は小学生のころから注目される存在だった。小学6年では背泳ぎや個人メドレーなど5種目で学童記録保持者になり、中学ではその5種目に加えて200mと400m自由形で中学記録を樹立し、天才スイマーと呼ばれた。高校入学後は2年連続で代表選考会前に体調不良になり、世界選手権代表がかかった11年は欠場した。それでも12年の日本選手権では、前年の世界選手権で銅メダルを獲得した堀端裕也を4分10秒26の日本記録で破って優勝。「学童記録を作った選手は大成しない」というジンクスを吹き飛ばして五輪初代表を決めたのだ。

「以前のことは分からないけど、コーチや選手全員が”チームの力”を意識してやっていこうと一致したことで、僕も一番いい状態で五輪に臨めたと思います。僕たちの世代は、北島さんや松田さんをテレビで観てきて、ああいう風に速くなりたいと憧れてきました。そういう方たちと代表で一緒になれたのが嬉しかったし、安心感もありました。先輩たちが気を使ってくれたので、楽しくできたし。五輪という舞台で気負いもなく泳げたというのはチームと先輩たちのお陰だと強く思っています」

 そう思えるひとつとして、ミーティングで五輪を経験している先輩たちから、貴重な話を聞けたことをあげる。特に北京で五輪初出場ながら、自己新を連発して6位になった藤井拓郎(100mバタフライ)の、「初出場だからといって硬くなることはない。楽しんでやれば結果は残せる」という言葉が心に強く響き、勇気をもらえたという。

 また、日本選手権で派遣標準記録をクリアしたことも自信になった。「まず、日本代表になること自体が大変なことだけど、派遣標準Ⅰを切ったことで五輪の決勝にも進める力が自分にはあるんだと証明できた訳ですから。あとは世界でその実力を発揮するだけということで……。そういう気持ちになれば、それまで積み上げてきた練習なども、必ず自信になっていくんじゃないかと思えました」