【水泳】萩野公介「入江(陵介)さんを越え、フェルプス選手を目標に」 (2ページ目)
日本代表チームに入ってからは、小学生時代から指導してもらっている前田覚コーチと離れることも多くなり、ロンドン入りしてから大会までの数日間は自分で調整をした。それでも不安はなかったという。「大舞台にいっても自分で調整ができて、自分の力を発揮できる状態に持っていくことが重要だ」「最後は自分の感覚が一番だ」と前田コーチから常々言われており、中学時代は全国中学に、高校ではインターハイという重要な大会に前田コーチが同行したことはなかったのだ。その年代では最も大きな大会を利用して、自立する心が育てられていた。
そんな萩野は、高校卒業を機に新たな環境へと踏み出そうとしている。東洋大に進み、日本代表の指揮も執る平井伯昌ヘッドコーチの指導を受けることにしたのだ。
「五輪を経験して改めて感じたことですが、どうしても平泳ぎが弱いというのが自分のネックになっていて。弱い部分を無くすことが、世界の個人メドレーで活躍するためには絶対的な条件だと思うので、そこでもっと強くなりたいと思ったのが平井先生の指導を受けようと決めた最大の理由ですね。あとは新しい環境でやりたいというのもひとつの要因で、環境の整ったJISS(国立スポーツ科学センター)で毎日練習できるのは、素晴らしいことだと思いますから」
現在の萩野は、五輪で銅メダルを獲得したとはいえ、安穏とはしていられない状況に置かれている。中学時代からのライバルである瀬戸大也(せと だいや)が、五輪代表を逃した悔しさをバネに、短水路W杯では6大会に出場して400m個人メドレーで全勝。12月の世界短水路選手権でも萩野や、実力者のラースロー・シェーを抑えて優勝するという快挙を果たしたのだ。
さらに同学年の山口観弘は、8月のインターハイとジュニアオリンピックの200m平泳ぎで北島康介の日本記録に迫る2分07秒台を叩き出し、9月の国体では2分07秒01の世界記録を樹立した。五輪銅メダルで先行したはずの萩野も、日本に戻ると、同学年のライバルたちがすごい結果を出すようになっていた。
それでも彼は、この状況を喜んでいる。
「悔しい思いをした大也が活躍したのは、非常に嬉しいことですね。彼と切磋琢磨してきたから強くなれたのだろうし、僕だけではここまで速くなれなかったと思います。まずは今年4月の日本選手権でお互いにいい泳ぎをして、もちろん勝負には勝って、世界選手権で一緒に頑張りたいと思っています。最終的には僕たちの世代がこれから日本の水泳を引っ張っていかなければならないと思っているので。やっぱりこういう風に世界トップクラスの選手が同年代で何人も揃うというのは、すごく恵まれた環境だということですから。自分もその中で強くなっていきたいと思います」
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