【指揮官と箱根駅伝】2区出走の希望叶わずも、中央大・藤原正和が山上り5区で見せた衝撃の走り (4ページ目)
【三つ巴の戦いの末につかんだ37年ぶりの往路優勝と悔しさ】
ところが、そんな藤原の計算を狂わせたのが強風だった。
「自分自身では悪天候には強いと思っていました。(強風で)区間記録は狙えないけれど、自分向きのレースだから、自信を持って走ろうと思っていました。それなのに、思いのほか脚が動かないし、失礼ながら、大村さんが意外と強かった。ある程度、ふたりとの差を詰めてはいたんですけど、最高点を迎える前がものすごい強風で、これはまずいなと思い始めていました。
大村さんの前には第1中継車、奥田さんの前には第2中継車があって、僕のところだけ何もないんです。『うわっ、勘弁してくれよ』と思いながら走っていました。で、下りに入っても全然追いつけないから、『皆さん、すみません。今日は3位です』と心の中で謝っていましたね。
そう思いながら下っていたら、ようやく体が動きだしました。これならばと思って、ちょっとずつアクセルを踏むと、下りきる前の最後のカーブを曲がった時に『勝った』と確信できました。じりじりした展開ではありましたけど、(ふたりを抜いてからは)あとはどれだけ差をつけるかだなと思ったのを覚えています」
急傾斜を下りきって平坦な道になると、まずは奥田を抜き去り、続けて、大鳥居をくぐったところで大村をかわし、ついに先頭に立った。藤原はそのまま逃げきって、往路優勝のフィニッシュテープを切った。
しかしながら、2位の順大に対して8秒しかリードを作れなかったのは大きな誤算だった。
「『最低でも、絶対に往路は獲ろう』とみんなで言っていたので、それを達成した安堵感もありました。ですが、総合優勝するには、往路を終えた時点で貯金が1分は欲しかった。6区は、永井(順明)さんが前年ほどの調子ではなかったですし、順大の宮井将治さんが強いのも分かっていましたから。
あの強風がなければ、復路ももっと面白いレースになったと思うんですけど、往路が終わった段階で秒差しかつけられなかったのが非常に悔やまれました。そういう意味では、安堵感と悔しさとが半々でしたね」
この時の箱根5区の三つ巴の戦いは、今なお語り継がれる名勝負だ。その勝者の藤原もまた、人知れず悔しさを抱えていた。
後編につづく:「一度きりの2区で奪取した区間賞と指揮官として目指すもの」
Profile
ふじわら・まさかず/1981年3月6日生まれ、兵庫県出身。西脇工業高(兵庫)―中央大―Honda。出雲駅伝、全日本大学駅伝を含む3大駅伝には大学4年間すべて出場。箱根駅伝では1年時から3年連続で5区、4年時に2区に出走し、1年、4年時に区間賞を獲得。卒業直前のびわ湖毎日マラソンで当時の初マラソン日本最高記録で、夏の世界陸上パリ大会日本代表に内定した。卒業後はHondaで競技を継続し、世界陸上選手権には2013年モスクワ大会、15年北京大会のマラソンを含め計3回、日本代表に選ばれている。2016年3月に現役引退を表明するとともに、中大陸上部の駅伝監督に就任し、現在に至る。
著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。
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