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【指揮官と箱根駅伝】2区出走の希望叶わずも、中央大・藤原正和が山上り5区で見せた衝撃の走り (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Satoshi Wada

【白い手袋に刻んだあこがれの人のタイムと区間賞】

 その後、出雲駅伝、全日本大学駅伝のふたつの駅伝でも活躍し、「4年間で1回でいいから走りたい」と思っていた箱根駅伝でも1年目から出番が回ってきた。藤原が任されることになったのは、中3の時にあこがれた小林が駆け上がった5区だった。

 実を言うと、当初はエース区間の2区を走る準備をしていた。

「5区は1期上の富田(善継)さんが準備をしていましたが、足を痛めてしまったんです。1週間前の練習を終えて、小川さんに『調子はどうだ?』と聞かれたので『2区だったら、1時間8分台ではなんとかいけると思います』と応えたら、『富田の状態が悪いから、もしかしたらお前に上ってもらうかもしれない』と言われました。

 その後にスタッフ陣が話し合う場に、僕と同期の池田(圭介)が呼ばれて、『池田が2区で、藤原は5区に持っていく』と告げられました。池田がコーチから『あこがれの2区を走れることになってよかったな』と言われていたのを聞いて、『俺だって2区を走りたかったんだよ』と内心思いつつ、"絶対にやってやる"と反骨心に火がつきました」

 こう振り返るように、藤原にとってもチームにとっても不本意な経緯からだったが、藤原の箱根デビューは当初予定していた2区から5区になった。

 それでも、「期待される経験がなかったので、それに応えたいという思いが強かったです」と意欲は十分。そして、その舞台で圧巻の走りを見せた。

 藤原がタスキを受けたのは8位。当時は15校の参加で、シード権が与えられるのは9位まで。中大は10年以上もトップ5を継続していたが、トップ5どころか、シード権争いに巻き込まれそうになっていた。

「これはちょっと順位を上げないとまずいなと思いました。確か序盤は雪がちらつくぐらい寒かったのですが、走っているうちにひとり、またひとりと抜いていって、リズムが出てきました」

 身につけていた白い手袋には、函嶺洞門や小涌園前などの定点ごとの小林雅幸の通過タイムを記していた(※この年よりコースの一部が変更になり、小林の記録は旧コースの区間記録になった)。

「頂上(国道1号の最高点)付近で、自分のタイムと雅幸さんのタイムを見比べて、これだったら雅幸さんのタイムより1分遅いぐらいでいけると思って頑張れたのを思っています。下りに入って法政が見えてきて、箱根神社の大鳥居を越えてからは順大が見えてきて、次々とターゲットが出てきてくれて、もう休んでいる暇もなかったです。走り終わったあとは、憧れの舞台を走れてすごくうれしかったですし、達成感がありました」

 藤原は4人抜きの活躍で、区間賞を東海大の柴田真一と分け合った。

 また、この年からコースの一部が変わったことにより、フィニッシュタイムの1時間11分36秒は新たな区間記録となった。

「雅幸さんの記録(1時間10分27秒)が本物の区間記録であって、『これは区間記録じゃない』って思っていました。距離は同じでも、コースレイアウト的にも、雅幸さんの時のほうがきつかったですから」

 自身はこう振り返る。

 テレビ中継では熾烈な往路優勝争いが盛り上がりを見せていたが、淡々と箱根の山を駆け上がった藤原のインパクトもまた大きかった。

藤原正和は1年時から3年連続で5区を走りきった(写真は強風に見舞われた2年時) photo by Jiji Press/代表撮影藤原正和は1年時から3年連続で5区を走りきった(写真は強風に見舞われた2年時) photo by Jiji Press/代表撮影

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