検索

【指揮官と箱根駅伝】2区出走の希望叶わずも、中央大・藤原正和が山上り5区で見せた衝撃の走り (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Satoshi Wada

【ダブルエース体制で託された2度目の山上りの使命】

 1年目の箱根の活躍があって「視座が高くなった」と言い、在学中のマラソン挑戦も志した。

 そして、世界クロスカントリー選手権(yの部14位)で日の丸を付けると、トラックでは10000mで28分17秒38の日本ジュニア新記録(当時)を打ち立てるなど、学生長距離界を代表する選手に駆け上がっていく。

 それでも、箱根ではまたしても2区起用が見送られた。この年は、板山学(現・NTT西日本コーチ)がエース格に成長したこともあって、チームの戦略上、藤原は早々に5区を走ることが決まっていた。

「エースがもうひとり、板山さんがいたので、まずは往路優勝しなんとか復路をしのいで勝ちきろうという戦略を、夏ぐらいの段階ですでに立てていました。2区を走りたい気持ちはもちろんありましたが、それよりも箱根で勝ちたいっていうほうが強かった。その可能性があるんだったら『5区をやります』という話を早い段階でしていました。

 2年目はわりと自由にやらせてもらっていたので、1日4部練をしてみるなど、自分の体でいろいろ試しながら、どういう練習をしていくべきかを考えていました。エラーのほうが多かったですけど......。でも、それらは今の指導者という立場には生きているのかなと思います。夏に思うように走れない時期がありましたが、日本インカレ、出雲、全日本となんとか走って、11月になって急激に調子が上がってきました。5区用の練習をしているなかでも10000mで28分17秒38の日本ジュニア新で走ることができて、自信を深めて、箱根を迎えられました」

 藤原に託された使命は、単に往路優勝のフィニッシュテープを切るだけでなく、2位以下に対して大きなリードを作ることだった。

 しかし、21世紀最初の大会となった第77回大会(2001年)の往路は、思わぬ強風に見舞われた。

 中大は、1区の野村佳史が区間1位と好スタートを切ると、その後は法大に独走を許したものの、常に上位でレースを進めた。藤原がタスキを受けたのは、先頭の法大から1分10秒遅れの3位。41秒前には2位の順大もおり、藤原の実力をもってすれば、2校とも十分射程内といえた。

「小涌園(11.5km)ぐらいまでにはある程度勝負の算段がついているだろうと、自分の中では思っていました。

 早めに奥田さん(真一郎、順大)に追いついて、奥田さんとふたりで大村(一、法大)さんを追いかけていって、上りきる前に捕らえるというレースを思い描いていました」と言うように、最高点を迎えるまでに勝負を決着させるつもりだった。

3 / 4

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る