【マラソン】鈴木健吾が語る箱根駅伝の記憶「2区は神大の地元。どこの大学よりも応援がすごい。沿道がプラウドブルーに染まるんです」 (2ページ目)
【2度目の2区で区間賞を獲得】
チームのエース格となった2年時は、往路区間で勝負するという気持ちで1年を過ごした。その熱意と練習量が走力向上につながり、花の2区に指名された。だが、強力な各校のエースたちを相手に、区間14位に終わった。
「(走力は上がったものの)まだ2区で勝負できるとまでは思っていませんでした。実際に走ってみて、力が全然足りなかったですし、区間14位という結果も『そりゃ、そうだよな』と。アップダウンがあり、後半に厳しい上りがある2区ではまだ勝負できないと感じました。トラックで他校のエースとある程度渡り合えないと箱根でも勝負できない。まずはトラックで勝負できるように、スピードの部分でもっとレベルアップしていかないといけないと思いました」
駅伝主将をまかされた3年時は、トラックシーズンからチームを牽引した。5月の関東インカレ2部10000mでは3位。さらに7月の記録会では、10000mで28分30秒16の学生記録(当時)を樹立。その勢いのまま箱根2区に出走した。15.3km地点の権太坂の前後から駒澤大の工藤有生や青山学院大の一色恭志ら他校のエースをふるい落とすと、先頭で襷をつないだ。
「(4回走った箱根では)この時の2区が一番印象に残っています。権太坂を上る時、誰かが揺さぶりをかけてくるのかなと思っていたのですが、意外とみんな攻めなくて。権太坂の上りはもちろん、下りでペースを上げると(後続に)差をつけられると思っていたので、そこは意識してスピードを上げました」
会心の走りで区間賞を獲得。滅多に褒めることのない大後監督も「よくやった」と褒めてくれた。鈴木の好走で勢いに乗った神大は、後続の選手たちも奮闘。総合5位に入り、12年ぶりのシード権を獲得した。
「8区で大塚(倭)(現NTT西日本)が区間2位で走って、チームも総合4位にいたので、この時にシード権は大丈夫かなと思いました。でも、最後の10区で中神(恒也)さんが交差点に差し掛かった時、交通規制がきちんとされていなくて、車と接触しそうになったんです。間一髪のところで先輩が回避したのですが、あれは危なかったですよ(苦笑)。
ゴール地点で待っていて、先輩の姿が見えた時は感動しました。僕は神大に入ってから一度もシード権を獲得できていなかったので、『シード権、シード権』って念仏のように唱えて生活していたんです。個人の区間賞よりもシード権を獲得できれば結果オーライぐらいの気持ちでずっとやってきた。念願のシード権を獲れて、すごくうれしかったです」
箱根後の3月の日本学生ハーフマラソンでも、当時日本人学生歴代8位となる1時間01分36秒を記録するなど、神大3年目は充実したシーズンを過ごした。
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