【部活やろうぜ!】田中佑美が大泣きした高1のインハイ予選「『また走るのか』って弱気になってしまった」 (2ページ目)
【部活動に改革をもたらした】
高校時代は圧倒的に田中のほうが競技力は上になったが、それでも彼女がライバルであることに変わりはなかった。
「彼女が自己ベストを更新したり、それまでは予選で敗退していたのが準決勝まで進んだりしたのならば、彼女が成長したぶん、私も絶対に伸ばしたいと思っていました」
このようにして、関大一高に進学しても陸上を続けた。
しかしながら、楽しかった中学までの部活動とは一変した。中学の時は同期が10人以上いたのに、高校で陸上を続けたのは田中とライバルである彼女のふたりだけ。それどころか、入部した時点で、女子は3年生が3人、2年生がゼロ、1年生ふたりの計5人という構成で「リレーを組むのがギリギリ」という少人数だった。
「大会で競技場に行くと『徹底』と書かれた旗をスタンドに掲げていました。高校の陸上部はけっこう厳しい部活動でしたね。
携帯電話が禁止されていたので、入学して最初に覚えなければいけなかったのは、顧問の先生の電話番号でした。先生がいない時は公衆電話から電話をかけるんですけど、『090〜』から始まるところ、間違えて『080〜』と押してしまって、『人違いです』とガチャっと切られたこともありました(笑)。
練習メニューも、ワケもわからずにすごい距離を走らされていました。それに練習の終わりには、掃除とミーティングを何時間もやらなければならなかったんです。本当に長くて、終わらないんですよ。それが嫌で嫌で、仕方なかったです」
そんなある日、田中は顧問の先生に部活動の改善を直訴する。
「朝練があったので、基本的には私が一番早く学校に行き、職員室に部室の鍵を取りに行っていました。その日は職員室に顧問の先生と私しかいなかったので、『練習メニューに関して、これじゃあ種目特性があったもんじゃない。変えてください』って、すごく怒って直談判しました。
先生は厳しい方ではあったんですけど、生徒の言い分を100パーセント聞いてくれないわけではありませんでした。その時は『生意気を言うな』って言われましたが、あとになって『これからお前らが練習メニューを立ててみろ』と言ってくれたんです。それからは、生徒が自分たちで相談して練習メニューを決めて、それをお昼休みに先生に提出し、先生からお言葉をいただくみたいな形になりました」
高校1年生にして、なかなか勇気のいる行動だっただろう。田中は自らの正論を通し、部活動に改革をもたらした。そして、「顧問の先生をギャフンと言わせたい」というささやかな反骨心は、のちに大輪を咲かせることになる。
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