検索

「自分で自分をほめたい」が流行語大賞になった有森裕子は「来年、還暦記念で最後のフルマラソンを走るつもり」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【「私にとってマラソンは仕事」】

 200111月の東京国際女子マラソンを走った後、休養に入り、立ち上げた会社での仕事に没頭した。そして、シドニーの高橋に続き、アテネ五輪で野口みずき(グローバリー)が金メダルを獲得したレースもゲスト解説し、彼女たちの走りを見るなかで気持ちが固まっていった。

「私にとってマラソンは仕事。走れればいいってものではなく、2時間30分を切れないようなレベルならやらないほうがいい。仕事として成り立たないからです。もうひとつビジネスをしていたわけですけど、どちらかがうまくいかないと、どちらかのせいにしていました。二兎を追っても自分を高めるものがなかった。最終的にどちらを選ぶのかというと、マラソンは仕事にならないので、2007年に引退を決めました」

 引退レースは、大阪国際女子マラソンや名古屋国際女子マラソンが候補に挙がったが、あえて市民ランナーも参加する東京マラソンを選択した。大阪や名古屋は、選ばれた選手が勝負する舞台であり、自分の引退レースをそこにぶつけてはいけないという気遣いからだった。

 有森は、なぜここまで走り続けたのだろうか。

「走ることが仕事だからでしょうね。生きていくためには走るしかなかった。そこに目標と意味がないと自分からは走らないです。市民マラソンのゲストで5kmを一緒に走ってくださいと言われたら、それは自分のためではなく、皆さんのために走ります。ただ、来年、還暦なので、記念にマラソンを走ろうと思っています。それを最後にフルマラソンはいっさいやらないぐらいの覚悟でやろうかなと(笑)」

 最後のマラソンを終えた時、有森は果たして、どんな言葉を残すのだろうか――。

(おわり。文中敬称略)

有森裕子(ありもり・ゆうこ)/1966年生まれ、岡山県岡山市出身。就実高校、日本体育大学を経て、リクルートに入社。1990年に大阪国際女子マラソンで初マラソン日本最高記録(当時)を樹立し、さらに翌1991年の同レースで日本記録(当時)を更新。同年の東京世界陸上で4位入賞。1992年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得。その後は故障に悩まされるも、1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得。2007年にプロランナーを引退後は、国内外のマラソン大会等への参加や『NPO法人ハート・オブ・ゴールド』代表理事として「スポーツを通じて希望と勇気をわかち合う」を目的とした活動を行なっている。また、国際的な社会活動にも取り組んでいる。マラソンの自己最高記録は2時間2639秒(1999年ボストン)。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る