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「自分で自分をほめたい」が流行語大賞になった有森裕子は「来年、還暦記念で最後のフルマラソンを走るつもり」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【3大会連続の五輪出場を逃す】

 汗と涙にぬれた表情でそう語った。その時の心情はどういうものだったのか。

「バルセロナ以降のことをいろいろ思い出して、大変でしたけど、よく(メダルを)獲ったなと思いました。自分で自分をほめたいというのは、素直な気持ちで、(歌手の)高石ともやさんから聞いていた言葉を自分の中に落とし込んでいたのがふっと出てきたんです」

「自分で自分をほめたい」は、その年の流行語大賞になるほどのインパクトを与えた。

 レース後、有森はすぐにプロ化推進の活動を始めた。それまで日本の陸上選手の肖像権は、選手からの預託を受けた陸連が、JOC(日本オリンピック委員会)に一括して委託していた。そのため、JOCのスポンサー企業に対してのみ、CM出演が許されていた。

 そこに有森は異を唱え、JOCのシンボルアスリートから外れる道を選び、肖像権の自主管理を主張した。日本のプロランナー第1号となり、JOCと関係なく、CMに出演。その後、JOCは選手の肖像権の一括管理を断念した。

「それまで肖像権を主張することさえできず、JOCの『がんばれ!ニッポン!』キャンペーンで当たり前に自分たちの映像が使われていることに対して、おかしいとも言えなかったんです。ただ走って勝てばいいではなく、自分の人生なのだから自分で生きていく感覚を身につけていかないといけない。この肖像権の問題を含めて、ひとりひとりの選手が自立し、自分の足で生きていくという感覚を持てるようになったのはすごくよかったです」

 アトランタ五輪後、有森は2年8カ月ぶりのレースとなるボストンマラソンに出場し、2時間2639秒で3位入賞を果たした。その勢いのまま2000年シドニー五輪での女子マラソン代表を目指したが、選考レースの大阪国際女子マラソンで9位に終わり、3大会連続での五輪出場はならなかった。

 シドニー五輪は女子マラソンのゲスト解説を務め、リクルート時代の後輩だった高橋尚子(積水化学)の金メダルを見届けた。その時、ある思いがよぎった。

「シドニー五輪でQ(高橋尚子)が金メダルを獲った時、彼女のスタイルでやれば結果がついてくることがわかって、自分もそうすればと思えたらよかったんですけど、そうはならなかった。プロなら意地でもそうすべきなのに、言い訳ばかりしている自分はもうプロじゃない。自分にがっかりしました」

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