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有森裕子がショックを受けた小出義雄監督のひと言 バルセロナ五輪で銀メダル獲得後に「次は駅伝だ」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【銀を獲って「もっと強くなりたい」と思った】

バルセロナ五輪のレースを振り返る有森さん photo by Sano Mikiバルセロナ五輪のレースを振り返る有森さん photo by Sano Miki

 それでも現実にはコースがよく見えず、最悪、転倒してしまうのではという不安があったが、スタートするとそれは杞憂に終わった。

「左は裸眼で0.05なのですが、走り始めた時から左目が見えないという記憶がないんです。人間って面白くて、アクシデントがひとつ起きたらそのひとつだけを考えてしまうので、2つも3つも考えないんです。だから、足の痛みは忘れてしまいました(笑)。人間の集中力ってすごいなって思いましたね」

 最初はサングラスをしていたが、途中で現地のおばあさんが応援してくれている姿が見えた時、それを外して彼女に投げた。気温30℃の過酷なレースになったが、いつの間にか順位が上がっていた。

「黙々と走っていると、先導車が見えたんです。細い道で誰もいなかったので、私がトップだと思って、このまま逃げようと思ったんです。でも、広い道に出るとはるか前に黒い点のようなものが動いていたんですよ。あれ、なんだ、1人いるじゃんと思って、そこから前を追いかけていきました」

 そして有森が、前を行くワレンティナ・エゴロワ(ロシア、当時独立国家共同体)に追いつくと、2人は抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げた。エスパニョール広場からモンジュイックにかかり、残り4km、標高差80mの激坂を上り、モンジュイックの丘にある五輪スタジアムの手前までやってきた。

「競技場に入るまで一緒に行って、ラストスパートでの勝負を考えていたんです。でも、彼女は絶対に勝つんだという気持ちで、競技場の手前で私を振りきっていきました。もう抜く力は残っていなかったですね。どんどん離されて30mくらい差がついてしまいました。最後は気持ちの差が出たのかなと思います」

 エゴロワとはわずか8秒差だった。2時間3249秒の銀メダルは、日本代表の陸上女子選手として64年ぶりの五輪でのメダル獲得になった。そのまま観客の声援に応えながらトラックを周回していると、母親から花束をもらった。競技場の観客は、情熱の国らしく有森を熱烈に讃えていた。

「レース前、親には『バルセロナ 咲かせてみせます 金の花』と手紙に書いたんですけど、正直なところメダルを獲りにいくという感じではなかったんです。この競技で生きていこうとしてひとつひとつを必死に頑張った先にメダルがあった感じでした。自分が頑張れば、私に関わってくれた人のためになると思っていたので、自分の役割を果たせた、やったという思いはありました」

 表彰式でメダルを首にかけてもらった。夢のような姿を自分では見られないので、ホテルに帰ると、再びメダルを首にかけて鏡の前に立ってみた。

「ちょっとホッとしましたね。でも、銀メダルって、狙って獲りにいくものではないじゃないですか。みんな金メダルを獲りに行き、一番強い選手が金を獲れるわけで、銀とか銅は金を獲れなかった人がたまたま獲れるものだと思うんです。ただ、私は金を狙っていたわけではないし、次こそは金メダルをという感じにもならなかった。その時、思ったのは、もっと強くなりたいということだけでした」

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