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ウルトラマラソンの世界王者・山口純平に聞く 100kmを6時間余りで走るということ「残り30kmからが本当に長い」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

100km世界選手権王者・山口純平インタビュー(後編)

ふだんはアパレル会社に勤務する市民ランナー。photo by Murakami Shogoふだんはアパレル会社に勤務する市民ランナー。photo by Murakami Shogo

【"30kmの壁"ならぬ"70kmの壁"】

 2019年12月、山口純平は単独走で1kmの周回コースを7時間40分かけて100周し、100kmを走るウルトラマラソンへの挑戦の意志を固めた。その後、すぐにでもレースを走りたかったが、コロナ禍でレースが次々と中止になり、舞台が整ったのは202110月8日、「柴又100K」というレースだった。

「初めての100kmレースは1km4分ペースでいって(フルマラソン2時間48分ペース)、6時間40分で走れたらいいなと思っていました。大会には当時の世界記録を持っていた選手が出ていたのでさすがに勝てなかったのですが、目標の6時間40分を切れたので(6時間3916秒)、デビュー戦としては悪くなかったです」

 ウルトラマラソンを走ったことで走力が上がり、同年12月の福岡国際マラソンでは2時間1651秒で当時のフルマラソン自己ベストを更新。翌2022年5月の「柴又100K」は3位。同レースは第31IAU100km世界選手権(ドイツ)の代表選考会を兼ねており、山口は3位までに与えられる出場権を手にした。迎えた8月の本番では、髪の毛の色を日本のユニフォームの色に合わせて赤に染めて出走し、銀メダルを獲得した。

「ジャパンのユニフォームを着て走るのは不思議な感じがしましたね。大会自体は、わちゃわちゃした感じで、これって本当に世界大会なのって感じでした。スタートも日本のように時間通りにいかないですし、この時は距離が間違っていて800m長く走らされたりして、いい意味でテキトーだなって思いました(笑)。自分は2位(6時間1719秒)だったのですが、日本の選手が強かったので(1位は実業団のコモディイイダ所属の岡山春紀)、次は勝ちたい。世界一になりたいという気持ちがすごく強くなりました」

 山口は日本、そして世界のトップを目指して練習を重ね、翌2023年6月のサロマ湖100㎞ウルトラマラソンで6時間6分08秒の100km日本記録を樹立。数字だけ見てもどれほどすごい記録かわかりにくいかもしれないが、この時はフルマラソンの距離(42.195km)を2時間3140秒で通過し、50kmを3時間0分13秒のほぼ"サブ3"(3時間以内)ペースで走った。その後は一時、50kmの"サブ4"(4時間以内)ぺースまで落ちこむも、なんとか乗りきった。

 あらためて、山口は100kmという距離について、どう感じているのだろうか。

「フルマラソンよりもペースはゆっくりなので、5060kmくらいまでは結構早く終わる感じです。でも、70kmからキツくなってきて、前半と同じような動きでは走れなくなります。マラソンではよく"30kmの壁"と言われますが、ウルトラマラソンの場合は"70kmの壁"ですね。個人的に、フルの30kmからはそんなに長く感じないのですが、ウルトラの残り30kmからは本当に長く、なかなか1kmが進まないので、かなりキツいですね」

 その70km以降、どんなことを意識して走っているのだろうか。

「大崩れしないようにマイペースでいこう、力まずに走ろうと意識しています。疲れてくるとフォームが乱れてしまうので、そうならないように、その時点までにあまり使っていない筋肉も総動員させて走る感じです」

 100kmの長丁場ゆえ、エネルギー切れにならないための補給も重要。山口はフルマラソンの場合、エナジージェルを3、4個持つが、ウルトラでは10個以上ポケットに入れ、10kmごとにひとつ補給する。暑い日には塩分タブレットも準備する。コース上に設置されたエイドステーションにもバナナなどの補食が用意されているが、山口が取るのは水かスポーツドリンクだけだ。

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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