パリオリンピック直前! マラソン代表小山直城「キプチョゲらアフリカ勢に喰らいつきたい」オリンピック後の目標も明かす

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

MGCで優勝しパリ五輪への出場を決めた小山直城 photo by YUTAKA/AFLO SPORTMGCで優勝しパリ五輪への出場を決めた小山直城 photo by YUTAKA/AFLO SPORTこの記事に関連する写真を見る

パリオリンピックマラソン代表・小山直城インタビュー 後編

前編>>「小山直城が語る大学時代と箱根駅伝への執着」

 東京農大を卒業した小山直城は、Hondaに入社した。

 箱根駅伝にはチームとしては走れなかったが、個人のタイムを持つ小山には複数のチームから勧誘があり、夏休みにはオファーがあったチームの夏合宿にも参加した。そのなかからHondaを選んだのだが、決め手は何だったのだろうか。
 
「関東圏のチームが良かったのですが、なかでもやはり埼玉のチームというのが大きかったですね。高3で都道府県駅伝に出た時、監督がHondaの小川(智)さんでしたし、悠太(設楽)さんもいました。そこからのつながりもありましたし、自分の地元のチームで親しみもあったのでHondaを選びました」

 大学4年時、関東インカレで5000m2位(日本人トップ)になるなど、トラックで学生トップクラスの強さを見せていた。実業団でもトラックを軸に競技をつづけ、五輪などを目指すのだろうと、多くはそう思っていた。だが、小山はトラックも狙うが、一番の目標はニューイヤー駅伝に出場し、勝つことだった。

「駅伝が好きでしたし、大学時代、箱根駅伝にチームとして出場できなかったので、ニューイヤー駅伝には絶対に出たいと思っていました。やっぱり駅伝というかチームで勝つのは、おもしろいと思いますし、好きなんです。箱根を走って活躍して、『駅伝男』みたいになりたいと思っていたので、実業団でニューイヤー駅伝を走って、その目標を達成したいと思っていました」

 小山は1年目の第64回ニューイヤー駅伝(2020年)は1区3位と好走してチーム順位3位に貢献。その後、第66回大会(2022年)には3区で9人抜きを演じて初優勝に貢献した。つづく第67回大会(2023年)ではエース区間の4区を任され、3位からトップを奪う快走を見せ、チームの連覇に貢献した。「駅伝に強い小山」を結果で示した。

 一方、個人種目では最初はトラックを軸に活動をしていた。

 将来的にはマラソンを考えていたが、いつからスタートするというのは、特に考えていなかった。マラソンに移行するための条件が小山にはあったという。

「マラソンをやるためには、10000mで27分台を出してからと決めていました。マラソンで結果を出すためには、ある程度スピードが必要ですし、その目安となるのが27分台だったんです」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

【画像】徳光和夫が愛する「巨人」と「箱根駅伝」を語る・インタビューカット集

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