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東海大黄金世代・中島怜利が実業団から退いたワケ「プロランナーになってクリエイティブなことで勝負したい」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 東日本実業団駅伝には、中島が設立した「TRIGGER Athlete Club」というクラブチームで出場した。ただ、そのクラブは静岡で中高生や市民ランナーを対象とした記録会を開催した際に、お手伝いに来てくれた市民ランナーを軸に生まれたもので、当初は「たまたま集まった面子で偶然に生まれたチームで、何かを狙って作ったわけじゃないんです」という。

 それでも、同クラブチームを陸連登録団体とすると、東日本実業団駅伝への参加が認められた。そこから、同駅伝に出場するためのメンバーを本格的に探して、実際に参戦した。

「うちは、あくまでもコンテンツとしての駅伝なので、ただ速い人とかではなく、面白い人、経歴に癖があるとか、とにかく個性がある人を欲していたんです。昨年の東日本実業団駅伝を走ったメンバーも、ほとんどがそういう選手で、ほぼ『ROOKIE(ルーキーズ)』の世界でした(笑)」

 結果は27位だったが、その東日本実業団駅伝の密着動画は6.7万回の視聴回数をカウントした。

 同じように陸上系YouTuberとして動画を配信し、インフルエンサーとして活動している人は他にも数多くいる。しかし中島の動画は、そういった人たちの動画とは異なり、硬派なテイストだ。

「今はマラソンにゲストとして呼ばれて、楽しく走る動画が多いし、みんな、その方向にいく感じじゃないですか。僕は、いつまでも競技者目線でやっていきたいんですよ。

 正直、僕はランニングが好きじゃなくて、駅伝、陸上競技が好きなんです。だから、手っ取り早くお金を稼げるオジちゃん、オバちゃん向けの練習会とか、ほぼやらないです。僕は陸上競技の真剣勝負でいい思い出が作れたし、その経験があるから自信を持って子どもに教えたり、動画で話をしたりできているので、それを貫いていきたいんです」

 そうして、動画やチームでの活動が軌道に乗ってきているなか、昨年、ライフステージに変化が生じた。名城大女子駅伝部で活躍した髙松智美ムセンビさんと結婚したのだ。

「結婚して何かが変わったというより、そんなに変化がないから結婚できたんだと思います。僕がやりたいことができなくなったら、結婚はしていないですよ。

 彼女は子どもの頃から陸上しかしてきていなくて、外の世界の知識が足りないので、僕がやりたいことに介入してこないんです。それは、僕にとってすごくやりすい。ふたりで、"50-50"でやるんじゃなく、こっちは自分が"100"、そっちは智美が"100"みたいに、すべきことのすみ分けができているし、一緒にやれることが増えました」

 智美さんも、「片付けとか、些細なことで喧嘩もしますけど、お互いに高めあって、ジュニアの育成を含めて、陸上に貢献していきたいですね」と語る。

 中島は智美さんと一緒に、ジュニアを対象としたランニングクラブを作って小中学生を指導している。クラブに参加する選手の保護者に話を聞くと、「今、強く速くじゃなく、今後を見据えて丁寧な指導していただいています。子どもはここに来る前、いくつかクラブのお誘いもあったんですが、自分でここを選んだので、指導のよさは子どもがよく理解しているんだと思います」とのこと。クラブへの信頼は高かった。

 事実、まだ少数のクラブだが、アップとケアトレは智美さんが主に見ており、名城大でのノウハウを活かしたものが取り入れられ、質の高い練習が行なわれていた。

「智美と結婚していなかったら、ジュニアの指導はしていなかったですね。彼女は動き作りのノウハウを持っているし、子どもたちを乗せるのがうまい。これは、ふたりでいるからこそできているんだと思います」

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