東海大黄金世代・中島怜利が実業団から退いたワケ「プロランナーになってクリエイティブなことで勝負したい」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 ふたりで活動をより推進していくために、今年1月には「TRIGGER」を法人化した。「気合を入れるため」と中島は笑うが、しばらくはジュニアクラブ、レースや記録会の運営、YouTubeの3本を柱に経営していくという。

 翻(ひるがえ)って、個人としては競技者として挑戦したいと考えでいる。

「昨年は、競技者としてはパッとしなかった。それが悔しくて、自分は競技志向なんだというのを再認識できました。トラックにも挑戦していきますが、今はマラソンを考えています。

 マラソンは練習量がモノをいう競技なので、軽い気持ちでやると市民ランナーに負けてしまう。それって、イメージ的にもブランディング的にもどうなのって思っていたので、避けていたんです。でも、今はやりたいと思っているので、2時間20分をきれるように頑張っていこうと思っています」

 中島が競技への意欲を見せる一方、実業団やプロとして競技を続けている黄金世代の仲間たちについては、どう見ているのか。

「館澤(亨次/DeNA)は2年前、伸び悩んだ時期があって5000mにいったほうがいいんじゃないかと思ったけど、最近(1500mで)3分36秒を出して前線に返り咲いているじゃないですか。でも他は、鬼塚(翔太/makes)にしても、阪口(竜平/On)にしても、ちょっとよくなってケガをする。

 僕らの世代の多くがその繰り返しなんですよ。大学時代は練習も含めてなんとかやりきれていたけど、社会人になって歯車がかみ合っていないし、やれていない。現状で言うと、そういう選手だった、ということだと思うんです」

 黄金世代の多くが故障に苦しんだり、伸び悩んだりしているが、中島は2人の選手に注目しているという。

「僕は大学の時から、西川(雄一郎/住友電工)が伸びると思っていました。大学の時は頭を使わなくても、言われたことをやれば、伸びるんですよ。でも、社会人になると自分で考え、何がいいのか、悪いのか、追及しながらやっていかないと頭打ちになる。西川は大学時代からそれをやっていたんです。

 それは、羽生(拓矢/トヨタ紡織)もやっていました。ただ、大学の時はずっとケガして沈んでいたので、それを活かしきれていなかった。でも、今は、10000mで27分27秒を出して、訳がわからないぐらい走れている。これから、さらに伸びていくと思います」

 同期では、すでに小松陽平、郡司陽大、高田凜太郎が現役を引退した。まだ、走れる年齢での引退は残念だが、中島は彼らともに一緒に走ることができればと考えている。

「黄金世代で走れる人を集めて、駅伝をやりたいです。阪口は前にローカルな駅伝に出てもらったんです。楽しかったので、また一緒に走りたいですし、小松は引退したけど、まだまだ走れます。黄金世代の仲間と箱根駅伝の時のように、いつか襷を繋いで走りたいですね」

 黄金世代が再集合して駅伝を走る――その動画はかなりバズりそうだ。

(おわり)

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

【画像】徳光和夫が愛する「巨人」と「箱根駅伝」を語る・インタビューカット集

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