ケガから復帰してパリ五輪を狙う相澤晃 箱根駅伝で並走したライバル、台頭する年下世代への思い (3ページ目)

  • 牧野 豊⚫︎取材・文 text by Makino Yutaka

【3位の悔しさ、自己ベストの安堵】

――今回の日本選手権を振り返ると、レース中盤以降、優勝した塩尻和也(富士通)、2位の太田智樹、4位の田澤廉(ともにトヨタ自動車)の3選手と共に先頭集団を形成していました。どのような思いで走っていたのですか。

「正直、4000mぐらいからわりときつかったのですが、ラスト2000mまでどれだけ余裕を持って走れるか、ということだけ意識していました。おそらく塩尻さんが強いだろうと感じてはいましたが、何も考えずについていくしかないと思って走っていました」

――選手の皆さんがレース中に相手の様子を肌で感じることって、レース後のコメントでよく聞きますが、どのように感じ取っているのでしょうか。

「そのレースだけというより、地区駅伝やトラックなどシーズンを通しての印象を踏まえてレース中の表情で確認する感覚です。6000mを過ぎたあたりでは太田は前の方で長い間走っていたこもあってきつそうでしたが、塩尻さんは余裕ありました」

――田澤選手については?

「本人の大会前のコメントでも、練習を積めなかった、と言っていましたが、日程もきつかったと思います。1万mって1年間にそんなに何度も走れる種目ではないんです(田澤は2023年7本目の1万mのレース)。だから今回、レース終盤は結構きつくなってくるのかなと思っていました」

――8000mを過ぎてから塩尻選手が先頭に立つと相澤選手も反応。その後ずっと背中を追い続けましたが、届きませんでした。フィニッシュ手前では太田選手に交わされました。

「最後はもう追いきれなかったですね。ただ、力は出しきれました」

――レース後の取材対応では、3位になった悔しさと1年半ぶりの1万mで今の力を出し切り自己ベストを出せた安堵感の両方があると話し、目に光るものも見えました。

「確かに泣きそうでしたね。正直、ほっとしたところもあって、ようやく復帰できて第一歩を踏み出せたと。(上位3名が突破した)日本記録樹立の記念撮影に途中で連れて行かれましたけど、もしあのまま質問を受けていたら本当に泣いていたかもしれません」

後編〉〉〉相澤晃インタビュー

【プロフィール】相澤晃(あいざわ・あきら)/1997年7月18日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)→東洋大。高校時代は貧血などに悩まされインターハイ出場はなかったが、大学入学後は食事の改善等もあり、潜在能力を発揮。2年時以降は特に学生3大駅伝でその存在感を見せつけ、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝すべてで区間新記録を樹立。2020年箱根駅伝2区では史上初の1時間5分台(57秒)となる区間新記録を樹立した(今も歴代2位、日本人歴代最高)。卒業後は旭化成に進み、2020年にトラック1万mで日本記録更新、日本選手権1万m優勝2回(2020年、22年)、2021年東京五輪出場(17位)を果たしている。

著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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