日本選手権200mで優勝も「なぜ4×100mリレーの権利がないのか」ロンドン五輪で高瀬慧が味わった複雑な心境 (3ページ目)
初出場のロンドン五輪200m個人では準決勝に進み、大健闘の走りを見せた photo by AFLO「200mで優勝しているのに、『なぜ4×100mリレーの権利がないんだろう』とは考えました。どういうシステムで決まっているのかなというのは気になりましたね。ただ、バトンワークも含めて経験がない種目だったので、実力不足なのかなと、自分では消化して納得していました。
それに400mは苦手だけどマイルは好きだったし、400mでずっと代表になっている金丸祐三さん(大塚製薬)と仲良くしていたので、マイルで決勝に残りたいという思いのほうが強かったです。
ただ、自分は日本選手権の400mを走ってないのに、特性(マイルリレーに向いている)という要項だけで選ばれたことを、日本選手権を実際に走って4番、5番になった選手は、どう思っているのかは気になりました。その選手たちに恥じないようにベストを尽くすという気持ちでしたが、すごく複雑でした」
そんな思いを抱えて走ったロンドン五輪のマイルリレーは、1走・高瀬、2走・金丸、3走・東佳弘(関西大)、4走・中野弘幸(愛知教育大)のメンバーで走ったが、予選敗退となってしまった。
一方、個人の200mは予選組2位と、高平とともに着順で準決勝に進出する健闘の走りをした。
「200mで準決勝にいけたのは、前年の世界選手権でマイルリレーを経験できたからだと思っています。キャリアのない僕だったら、いきなり個人で世界大会に出て、ダメだったらトラウマになったかなと思います。
ただ、マイルリレーで決勝に行けなかったのは悔しかったです。なので、予選敗退の夜に悔しくて金丸さんとふたりで走りに行きました。僕は翌日の4継も補欠になっていたんですが、その影響もあってか準備があまりできていませんでした。結局4継には出られず、その4継が決勝で5番という結果を残したことで、大会後に悔しさがこみ上げました。この時に、次の世界選手権や五輪では自分が4継を走り、結果を出したいと強く思ったんです」
profile
高瀬慧(たかせ・けい)
1988年11月25日生まれ、静岡県出身。
順天堂大学に進学後に400mで才能が開花するとともに、日本選手権では4×100mリレーと4×400リレーで成績を残した。2011年に富士通入社後は100mと200mでも成績を残すようになり、200mは2012年、100mでは2015年の日本選手権で優勝を果たしている。2012年ロンドン五輪で200mとマイルリレーに出場し、2016年リオデジャネイロ五輪は200mに出場。ケガに悩まされることも多かったが、引退レースとなった2021年全日本実業団対抗選手権のマイルリレーは見事優勝を果たした。引退後も富士通に残り、会社員として働きながら陸上界を盛り上げる活動をしている。
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