日本選手権200mで優勝も「なぜ4×100mリレーの権利がないのか」ロンドン五輪で高瀬慧が味わった複雑な心境

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

5人目のリレーメンバーが
見ていた景色 高瀬慧 編(前編)

陸上競技のトラックで今や個人種目をしのぐ人気となったリレー競技。4人がバトンをつないでチームとして戦う姿は見る人々を熱くさせる。実際にレースを走るのは4人だが、補欠も含め5~6人がリレー代表として選出され、当日までメンバーは確定しないことが多い。その日の戦術やコンディションによって4人が選ばれ、予選、決勝でメンバーが変わることもある。走れなかった5人目はどんな気持ちでレースを見守り、何を思っていたのか――。

現在も富士通に残り、社員として陸上に関わっている高瀬慧 photo by Nakamura Hiroyuki現在も富士通に残り、社員として陸上に関わっている高瀬慧 photo by Nakamura Hiroyuki 男子4×100mリレーにとって快挙だった、2016年リオデジャネイロ五輪の銀メダル獲得の決勝に高瀬慧(富士通)の姿はなかった。

走ったメンバーは、山縣亮太(SEIKO)と飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(ドーム)の4人。日本陸連の苅部俊二短距離部長が、「最後まで悩んだのは高瀬を起用するかどうかだった」と話したように、高瀬はボーダーラインにいた。

◇◇◇

 引退した現在でも200mで日本歴代5位の記録(20秒14)を持っている高瀬は遅咲きの選手だった。順天堂大4年の時に関東インカレ400mで優勝すると、初出場となった日本選手権では46秒46の自己ベストを出して5位に入賞。

 200mでは、富士通に入った2011年、すでに20秒台に入っていた記録を世界選手権A標準記録(20秒60)突破の20秒53まで伸ばして東日本実業団で優勝を果たすと、その直後の日本選手権では200mで5位になった。

「200mは(強くなれる)確信があったのですが、先に結果を出していた400mには苦手種目という意識を持っていました。今振り返ると、学生時代はまだ体ができていなくて400mしかできなかったという気がします。3年生の頃からウエイトトレーニングをやり始めたものの、筋肉がつきづらいところもあり、どういうトレーニングが自分に合っているのかを確立できていない感じでした。

 富士通は400mの成績で入社しましたが、僕としては200mで勝負したいという気持ちが強かったんです。なので、A標準を突破してやっとスタートラインに立てたという感じでした」

 200mの20秒53はその年の日本ランキング2位の記録だったが、8月末からの世界陸上には、日本選手権200m上位の高平慎士(富士通)と齋藤仁志(サンメッセ)、小林雄一(法政大)がA標準を突破していたため代表になれなかった。

「日本選手権の200mの決勝で、順天堂大学の先輩でもある高平さんと勝負するのが初めてで、すごく怖かったんです。憧れの選手でしたし、決勝のウォームアップの時からオーラというか、高平さんがその場の空気を自分のものにしている感じがありました。そのなかで200mの代表を取るのはめちゃくちゃ怖くて、緊張しすぎていたのか、レース後、サブトラックに戻って倒れてしまったんです。記録もそうですが、精神面でもまだ勝負する力はついてないんだなと思いました」

 その代わりに、400mは春から安定したタイムで走っていたことと、7月のアジア選手権では4×400m(マイル)リレーで2走を務めて優勝メンバーになっていたこともあり、そこで代表に選ばれて本番で1走を務めた。

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