小山直城がMGCで優勝も予定外だった39キロからのスパート それでも「自分にとってラッキーだった」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kishimoto Tsutomu

【地道に積み上げてきた結果】

 埼玉県の松山高時代、小山の陸上選手としてのターニングポイントになったのは、3年の時に、初の全国大会として出場した2015年1月の全国都道府県対抗男子駅伝だった。1位の熊本県と同タイムの2位で憧れの設楽悠太からタスキを受けた。5kmの高校生区間の4区を14分13秒の区間1位で走り、埼玉県の初優勝に貢献した。

 その後は東京農業大に入り、2年では箱根予選会の20kmで個人31位に入り、チームトップで学連選抜として箱根駅伝に出場し、4区で区間10位相当の走りをした。2019年、Hondaに入社すると、1年目から2年連続で全国実業団駅伝の1区に起用され、ハーフマラソンでは1時間01分08秒の自己ベストを出すと、2年目には5000mで13分38秒81の自己新を出した。そして3年目の21年には1万mで27分55秒16の自己新と、一歩一歩土台を作っていた。

 その成長を見守ってきた小川監督はこう振り返る。

「マラソンに臨むのは1万mで27分台を出してからと本人にも言っていたのですが、私的にはもう1年くらい力をつけてからと考えていました。でもちょうど(チームに)設楽悠太がいてタイミング的にもよかったし、本人のやる気もあったので後押ししたという感じです」

 初マラソンは2022年3月の東京マラソンで、2時間08分59秒で22位。8月には北海道マラソンを走って2時間14分20秒で11位に入った。そして、今年は3月の東京マラソンを2時間08分12秒で走り15位に。そこでMGCの出場資格を取ると、「自分はまだマラソンの経験が少なかったので経験を積むということと、後半ハーフの落ち込みを少なくして走りきることを課題にした」と、7月のゴールドコーストマラソンに出場し、2時間07分40秒の自己新で優勝と着実にステップアップしてきた。

「ゴールドコーストマラソンの大会記録は悠太さんの2時間07分50秒だったので、それを破れたことはよかったです。順位としてはコースも意識せず、一緒に走ったケニア人選手などのこともよくわからなかったので、そこは運がよかったと思います」

 こう控え目な発言をするが、ここで優勝する経験をできたことで、MGCのパリ五輪への条件である2位以内というのが少し気楽に感じることができ、勝ちきる走りにつながった。

「パリ五輪に出たいと思ったのがマラソンを始まるキッカケで、五輪は自分にとって通過点だと思っています」

 ただ、パリ五輪を考えれば、戦う相手は今回より格段に力があり、厳しい面もある。日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、「まだ伸びシロはあると思うし、これから日本記録を出す可能性を持っていると思う。ただ、今の記録では世界とは戦えない。五輪までにもっといい記録を出すことに挑戦してもらいたい」とエールを送った。

 小山自身も「来年は元旦のニューイヤー駅伝のあと、東京か大阪のどちらかのレースを走ってパリ五輪につなげていきたい」と意欲を持つが、ノーマークで挑戦できていた時とは違い、これからは常に注目され続ける存在になる。その重圧をどうはねのけていくのかも重要な課題になる。

 小川監督は「彼は自分でいろいろ考えることが好きなので、私もいろいろな情報を彼にトスして、ゆっくり考える時間を与えたいなと思う」と信頼する。クレバーな彼がこれから、どのように時間を有効に使い、自分の心に余裕を持たせながら過ごしていくのか。それも初出場の五輪へ向けて大事な課題になってくる。

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