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池田耀平「このままダラダラとトラックをやってていいのか」MGCは辞退もパリ五輪は目指す「2時間3分台は狙えるところにある」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

【タイムは出たけど勝負で負けた】

 だが、なぜ初マラソンの舞台を大阪マラソンにしたのだろうか。

「同世代の星君が優勝したので自分もという気持ちがありましたし、東京はペース設定が早いので初マラソンで先頭集団についていくのはかなり厳しいと思ったんです。大阪だとキロ3分ペースで、アップダウンのアクセントもあるので、そういうほうが自分に合っていると思って大阪マラソンに決めました」

 そこからの1年は、大阪だけは絶対に外すことがないようにと練習をつづけた。そうして、20232月、池田は大阪マラソンのスタートラインに立った。1年間かけて自信を膨らませてきたが、マラソンは初である。余裕を持って走っても急激にキツくなったらどうしよう。そのキツさはどのくらいのものなのか。その苦しみに向かっていくと、どうなるのだろう。そういう不安を感じることもあったという。

「監督からは、『絶対にどこかの場面でキツくなる。本当に苦しい場面を乗り越えていく感じでやっていかないとマラソンは走れない』と言われていたので、いつキツさが来るのかなと思っていたんです。でも、思った以上に余裕を持って走れていて、キツくなったのは35キロを超えて37キロぐらいでした。なんとかうまく乗り越えていけそうでした」

 後半、池田は西山(和弥・トヨタ)と競り合っていた。「ここは勝たないといけない」と思って粘ったが、惜しくも西山には届かなかった。それでも2時間0653秒で日本人2位、総合7位で初マラソンを終えた。

「大阪での目標は2つあって、まずは日本人トップを獲って、世界陸上の代表になること。もうひとつは初マラソンの日本最高記録を出すことでした。タイム的には06分台が出たので、そこは出来すぎかなと思ったんですけど、勝負というところでは西山君に負けてしまって‥‥。日本人トップじゃないと世陸には出られないと思い、なんとしても勝ちたいと思って走っていたんですが、代表になれなかったので、本当に悔しかったです」

 池田はブダペスト世界陸上の出場権を得られなかったが、MGC出場権を獲得した。

 また、このレース結果で9月下旬から開催されるアジア大会のマラソン男子日本代表に選出された。1015日にはMGCがある。MGCに挑戦するのか、それともアジア大会を取るのかで注目されたが、池田はアジア大会への出場を決め、MGCは出場しないことを決めた。

「本当は世陸に行きたかったんですが、それが難しくなったと思っていたらアジア大会の代表の話をいただいたんです。最初はアジア大会かぁ、ちょっとなぁ。だったらMGCに出たほうがいいかなって思っていました。でも、監督からは『将来的なことを考えたらアジア大会に出たほうがいい』と言われて‥‥

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