箱根駅伝14年ぶりの出場に貢献した明治大学OB・岡本直己 当初のチームはバラバラ「引退したいので予選会で落ちてほしいと言う先輩もいた」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/アフロスポーツ

【2年時に箱根駅伝初出場】

 1年の箱根駅伝予選会は「このメンバーだったらいける」と少し甘くみてしまい、12位で予選落ちをしたが、岡本が「いける」と踏んでいた1年生の同期には、都大路で優勝した西脇工業から田中文昭、駅伝強豪校の倉敷から池邉稔、豊川工業から青田享らがおり、みな走力があった。

「ひとつ上の先輩が箱根に出るという気持ちすごく強かったんですが、私たちの同期は全国のトップクラスの選手だったので、上を目指すのが当たり前になっていました。そういう意識が高い選手がいることでチームのレベルも徐々に上がり、2年の夏合宿の時には、予選会は十分にいけるという手応えを感じていました」

 2004年の箱根予選会、明治大は3位となり、14年ぶりの箱根駅伝出場を決めた。そのシーンは、今も忘れられないほど感動的だった。

「結果発表を待っている時が正直、箱根を走ったこと以上に楽しかったです。だいたい3位通過ぐらいだというのがわかっていたので、1、2位が発表されたあと、『次は俺たちだ』みたいな感じですごく盛り上がりました。予選突破の達成感はすごく大きかったですね。前年、予選会を通過できなくて、本番では補助員をしていたんです。知っている選手たちが背中ごしで走っているなか、『そこ、邪魔だ』とか沿道のおじさんたちに言われて、ほんと悔しかった。同じ思いは2度としたくない。来年は、自分たちが走る番だと決めていました」

 岡本個人は、明治大にとって14年ぶりの箱根がピンとこなかったが、周囲の人やOBが涙を流して喜んでいた。その姿を見て、改めて自分たちがやり遂げたことの大きさが身に染みて感じられた。

 しかし......予選会を突破したチームにありがちだが、目標達成後は少しフワフワした感じがあったという。それでも日を追うごとに部内競争は激しくなった。授業の関係で午前と午後に分かれて練習することがあったが、午後練の学生は午前練の学生のタイムを見て練習に臨み、それ以上の走りを見せようとしていた。

 そういうなかで第81回箱根駅伝を迎え、岡本は1区で出走した。

「高校時代も1区を走っていたので、箱根も1区を走りたいと思っていました。希望区間を走らせてもらったんですが、結果は16位。失敗の原因は、完全に守りに入ってしまったことです。攻めるよりも箱根を走ることを優先してしまい、結局16位なりの練習しかできなかったんです」

 予選会を突破すると箱根を走りたい気持ちがどんどん強くなった。そのために出走を第1に考えてしまい、勝負できるレベルに追い込む練習時間を十分に確保できていなかった。チームも総合18位に終わった。

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