「山の神止まり」とは言わせない。神野大地が目指すマラソン日本代表への道「箱根駅伝を超えられるのは五輪しかない」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

苦しかったマラソンデビュー

 神野が入念な準備をして臨んだ「福岡国際マラソン」は、2時間12分50秒に終わり、思うような結果を残すことができなかった。

「僕は、最初のマラソンがあまりよくなくて、マラソンの現実を突きつけられた感じでした。そこから自分のマラソン人生が苦しくなりました......」

 2018年にプロになったが、マラソンでは苦しいレースが続いた。それでも2019年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)に出場しているし、アジアマラソン選手権で優勝した。だが、なかなかサブ10には届かず、他の選手が2時間5分台や6分台を出していくなか、どんどん追い詰められていった。

「一番苦しかったのは、2020年後半から21年ですね。福岡では28キロで途中棄権して、翌年のびわ湖(毎日マラソン)で2時間17分に終わってしまって......。福岡の前もびわ湖の時も練習はかなりできていたんです。特にびわ湖の前は20キロ59分34秒で行けていたんですが、レースではそれよりも遅いペースで14キロで離れてしまって。この頃は、またダメだった。もうあとがないとか、自分を追い詰めてしまっていましたし、試合に対する恐怖心がどんどん増していました」

 マラソンの不調はその春のトラックシーズンにも影響した。練習では12000mの変化走を36分フラットで走り、1キロ3分ペースを維持していた。だが、ホクレン北見大会の1万mでは自己ベストに1分半届かない29分49秒もかかり、「なんで?」と神野自身も首をかしげる内容だった。

「その時もレースへの怖さが出てしまって......。ダメなレースが続きすぎると、その恐怖心がどんどん増していって、次へのモチベーションが上がらなくなるんです。元々、僕は遅かったので、大学の時は走ればベストが続いて、壁にぶつかることがなかった。でも、マラソンを始めてからは練習が楽しくない時もありました。それって陸上選手としては致命的で......頑張った先に栄光があるのかどうかもわからない状況が続いていたし、結果がすべてという陸上の厳しさに直面した感じだったので、けっこうしんどかったですね」

 なぜ、結果が出ないのか──。

 答えがなかなか見つからないなか、藤原新コーチと話をして、トラックに対する考えを変えた。レースはあくまでの練習の一環として考え、あまり結果を求めないようにした。練習も余裕を持ってできる内容に質と量ともにメスを入れた。

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