箱根駅伝5区で好走も「山の神になりたいとかはなかった」。細谷恭平の「究極の省エネ走法」は大学時代に完成した (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

同学年の選手の活躍は刺激になる

 他校の同学年のライバルたち、たとえば鈴木健吾(神大―富士通)や田村和希(青学大―住友電工)ら今や日本のトップランナーになった彼らを意識することはあったのだろうか。

「大学の時、鈴木やタムカズ(田村和希)は雲の上の存在でした。鈴木は、ユニバー(シアード<現ユニバーシティゲームズ>)のハーフに出て銅メダルを獲得していましたし、トラックでも結果を残して本当にエリートですよね。社会人になってもロードでは鈴木がダントツに抜けていると思います。タムカズは、トラックなので自分とスタイルが違いますけど、やっぱり同級生の頑張りは刺激になります」

 4年時、鈴木は2区4位、田村は3区2位と好走を見せている。細谷は、5区3位の走りで16位から11位にチームを押し上げ、シード権を狙えるポジションまで順位を戻した。復路は12位ながらもなんとか総合10位でシード権を残した。箱根駅伝は3回出走し、すべて3位。4年時の関東インカレのハーフも3位で、コンスタントに結果を残した。

「3位ばっかりで華がないというか、吹っきれないですよね(苦笑)。そのなかでもコンスタントに結果が残せたのは、自分のパフォーマンスを出しきれるというか、ネジを外せるからだと思います。ちゃんと準備してスタートラインに立てば、調子が悪い時でも出しきって粘れるので、そこまで順位が落ち込まない。それが自分の強みかなと思います」

「外さない男」と言われているが、それを実現しているのが細谷のフォームだ。「究極の省エネ走行」と言われる走りは、大学時代に完成に至った。

「もともとピッチ走行ですし、上半身はペラペラに薄く、全体の筋肉がないんですよ。長い距離を走るうえで僕の筋肉量でトラックのような思いきった走りをしてしまうと絶対にもたない。エネルギー消費を抑えてコンパクトに走ることを常に意識していました」

 手を開いて走るのも細谷の特徴のひとつのように見えるが、それは「追い込まれた時のクセ」なのだという。また、走るうえで川崎監督から生活面での指導を受けたことも大きかった。

「生活面の指導はかなり細かかったですね。合宿先では、靴をきれいに並べるという基本的なことから終わりには『初日に来た時以上に部屋をきれいにして返しなさい』と言われました。日常生活のなかで当たり前のことができない人間が一人前のランナーになれるわけがないとの考えで、監督には人間性を高めていただきました」

 人間的に成長し、競技面では自分の型を完成させ、トラックよりもロードでの距離走や上りで足を磨いた。それが箱根駅伝での快走に結びつき、実業団への道が開けた。

「大学に入ってからは社会人になっても陸上をやりたいと思っていました。それができたのは、箱根駅伝のおかげです。箱根を走った3年間の結果が実業団への道を作ってくれた。箱根駅伝は、僕の人生の転機になりました」

後編へ続く>>前年120位から3位に。細谷恭平が転機を語る

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