記録更新連発で3000m障害に現れたヒーロー。三浦龍司は自身も驚く成長に「マイナー競技でも自分に合っている」 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by MATSUO.K/AFLO SPORT

「マイナー種目だった3000m障害が、どんどん人に見てもらえるようになっているというのは感じています。そういう状況になってきたのは競技者としてすごくうれしいです。認知度が高まってくれば、挑戦しようと思ってくれる選手も増えて、競技レベルの向上にもつながるし、やりがいを持てるようになりますよね。5000mや1万mに引けを取らない種目になっていけるように、自分もそれを後押しできる存在になれればと思います」

 もともと長い距離は嫌いで、やるなら5000mくらいまでで、将来マラソンは考えていないと笑う三浦。海外の選手と戦いたいと思い始めたのは、高2の冬に合宿でオーストラリアに行き、そこで出場した競技会で外国選手と走った時だった。

 3000mを走ってBレースで5位だったが、「タイムでは負けているかもしれないけれど、レースの走りでは張り合える選手になりたい」と強く感じたことが今の走りにつながっている。東京五輪はそれ以来の外国選手たちとの戦いとなる。

「国際大会ではラスト1000mを切ってからが激しくなって会場も沸いてきますが、そこで競り合ってラストで逃げ切れるようなレースをしたいです。今年に入ってからは、ラスト1000mで切り替えられるような練習をして、それをレースでも出せています。7月14日のホクレンディスタンスの5000mに出たのもその練習の一環でしたし、ラスト1000mで切り替えて13分26秒78の自己新(U20歴代2位)で優勝できているので、東京五輪へ向けても手ごたえを感じています」

 五輪は予選から全力になるだろうが、確実に決勝進出を果たし、決勝ではがむしゃらに走ることを考えている。「目標は2024年パリ五輪でメダル争いに絡むことなので、それまでに8分ひと桁の前半は出しておきたいし、あわよくば7分台に入りたい。東京五輪ではその可能性の片鱗を見せられればと思います」と、さわやかな表情で宣言した。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る