神野大地が語る「箱根5区の攻略法」。
山の神はいかにして生まれるのか
箱根駅伝の勝負を決めるのは山の区間。これは今も昔も変わらない定説になっている。神野大地は、第91回大会で5区を任され、当時23.1キロの時代に76分15秒という驚異的なタイムを叩き出し、青学大の箱根駅伝初優勝の立役者となった。「3代目・山の神」と称され、チームの絶対的なエースとなった。そんな神野に、箱根の10区間で最も特殊である5区の難しさ、攻略法、そして「4代目・山の神」の可能性について聞いた。
青学大3年時に箱根5区で圧倒的な記録をマークし3代目・山の神となった神野大地---- 神野選手は、大学3年の時、5区に指名されました。2年の時は、2区を走っていましたが、どういう経緯で5区に変更になったのでしょうか。
「箱根は早い段階で2区に決まっていたんですけど、全日本大学駅伝が終わった11月中旬に原(晋)監督に『2区は最後に戸塚の壁があるから、それを上り切るために神野も山の練習に一緒に行こう』と言われたんです。当時は、一色(恭志)が5区と言われていたんですけど、実際に山を走ってみると僕が一色よりも2、3分早く、これまでの青学大の歴代の先輩のタイムと比べると4分近く早かったんです。それで監督から『おまえは5区だ』と言われて、ほぼ即決でしたね」
---- もともと山上りには自信があったのですか。
「いや、全然なかったです(笑)。山を走った時も、なんか本当に止まりそうなペースだったんで『大丈夫かな』って思っていたんですよ。しかも、途中で腹に差し込みがきて30〜40秒ぐらい止まっていたんです。それで走っていたら監督に『おまえ、すごいタイムで走れているぞ』と言われて、『えっこれで?』とびっくりしたんです。でも、この時、『いけるかも』って思いましたね」
じつは、神野の5区指名には伏線があった。菅平での夏合宿、ロードで距離走の練習をしたあと、上り5キロを走ったという。上りが延々とつづくロードで選手がどんどん落ちていくなか、走り切れたのは神野と一色のほかにふたりぐらいしかいなかった。この時の神野の走りが原監督の脳裏に刻まれ、「僕がそれなりに上りをいけるという認識があったと思います」と神野は言う。
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