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競歩でまた金メダル。優勝した
山西利和が喜ばなかったのはなぜ? (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Nakamura Hiroyuki

 山西はひとりでリズムを作り出すと、体の動きが噛み合ってきたこともあり、14kmからはペースを再び4分10秒前後まで上げた。これは、後続のカールストロームも4分07秒、4分09秒とペースを上げてきたタイミングだったため、効果的なペースアップだった。

「もともと、14kmからは、ラスト3kmでの勝負に備えて1kmを4分くらいに引き上げる予定でした。集団でいた場合でも、そのペースなら他の選手の力を削りながら、(1周2kmのコースで)ラスト3周に入っていける。そう決めていたので、ひとりであろうがブレずにやりたいと思ってペースを上げました」

 17kmまでの3周で、勝負はついた。山西は先頭を譲ることなく、1時間26分34秒でゴールテープを切り、東京五輪代表に内定した。

 ただ、山西は優勝しても思い切り喜ぶことはなかった。

「うれしい気持ちとホッとする気持ちがありましたが、やり切れなかった部分もあった。今回の目標としては、ラスト3周は3分40秒で歩くことだったけど、一度も4分を切れませんでした。暑さもあるから、そんなものと言う人もいるだろうけど、やっぱり理想を追いかけたい。

 だからゴールした時も、『これで勝っちゃったか......』という感じでした。偶然というか、結局は2番手にいたカールストローム選手がへばってしまったので、僕がその前をイーブンペースで歩いたら逃げ切った形になった。あれだと、あそこでもう一回追いついてくる選手を相手に勝負する場合は勝てないと思う。ラスト3周でしっかりペースを上げて、後続を離していくレースをして、圧倒的な強さを見せたかった」

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