箱根駅伝アンカーの郡司陽大が絶不調でも
笑顔の理由。「不安はない」 (2ページ目)
その丸亀ハーフで郡司は62分07秒の自己ベストを出し、ロードシーズンでのさらなる成長に期待が膨らんだ。その矢先のケガだった。気持ちは落ち込んだが、ウエイトなど強化を続け、4月半ばに練習に復帰。5月の日体大記録会の1万mが今シーズンの初レースとなり、続いて平成国際大学長距離競技会で5000mを走り、この個人学生選手権が今シーズン3レース目だった。
「こんなはずじゃなかったんですどけね」
今シーズン、郡司には思い描いていたプランがあった。
丸亀のあとは学生ハーフを走り、そこでユニバーの出場権を獲得する予定だった。そして関東インカレのハーフに出場し、昨年の湯澤舜(2位)、西田壮志(4位)、湊谷春紀(7位)のように快走し、8位入賞を東海大で独占したいと思っていた。
だが、いずれも実現できなかった。とりわけ、関東インカレは自分が走れない悔しさを押し殺しながら仲間を応援し、チームメイトのレースがない時はスタジアムの周りをひとりで走っていた。
「まあ、終わってしまったものはしょうがない。今シーズン、5000mで13分52秒、1万mで28分40秒を切ることを目標にしていたので、しっかりとそれをクリアしようと気持ちを切り替えました」
しかし、個人学生選手権では目標のタイムを達成することができなかった。
「レースは、足がしんどいわりには粘れましたし、ようやく走っている感覚が戻ってきたかなと。ただ、足の締まりとか、いちばんよかった時の感覚がまだないんですよ。それって練習を積み重ねた結果であって、自分は才能で走っているわけじゃない、努力してきたから走れたんだなと、あらためて思いました」
郡司は、1、2年の時は野球にたとえるとブルペンエース的な存在だったが、豊富な練習をこなし、自信が持てるようになった3年で実力が一気に開花した。
箱根優勝後は、高根沢ハーフでは郡司のサインを求めて長蛇の列ができるなど、周囲の激変ぶりに戸惑ったところもあったに違いない。それでも自分を見失うことはなかったが、故障して自身の基盤である練習を積めなくなってしまった。
2 / 5