2019.07.31

世界への道を拓いた高野進。
バルセロナ五輪400m決勝までの破壊と冒険

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負--蘇る記憶 第2回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 1992年バルセロナ五輪で、陸上男子400mの高野進は、31歳で最後の五輪に挑んだ。前年の世界陸上東京大会では、1932年ロサンゼルス五輪100mの吉岡隆徳以来、世界大会59年ぶりにファイナリストとして世界大会の舞台に立った。そして、バルセロナの地でも高野は再び世界の舞台に足を踏み入れた。

バルセロナ五輪陸上男子400mで決勝に進出した高野進(写真左) 高校3年生から始めた400mで大学3年時に日本記録をマークし、同年のアジア大会で優勝。83年には日本人初の45秒台となる45秒86を記録して、世界挑戦への意識をより強くした。

「世界挑戦を考えてから、200mより400m、という気持ちになった。自分自身が持っているエネルギーを充填して、残らず放出できるのはこれしかない、という気持ちがあった。400mは地味で苦しい種目だが、自分のポテンシャルをいちばん引き出してくれて、自分自身が有能であると思えるものだった」

 のちに高野が度々見せた、ゴール後に倒れ込んでしばらく起き上がれなくなるほど力を出し尽くす彼のスタイルは、そんな思いの表われでもあった。

 84年ロサンゼルス五輪で準決勝に進出した高野は、世界と戦うには44秒台は不可欠だと考え、86年アジア大会では同年世界ランキング19位の45秒00まで記録を伸ばした。そして「これが競技人生の集大成。最後の五輪」と考えて臨んだ88年ソウル五輪では、準決勝で45秒を突破する44秒90を出した。だが、第1組5位、全体では9番目のタイムで決勝進出を逃してしまった。

 ソウル五輪が終わった時、高野は競技を辞めようと思ったという。「記録も44秒台に到達したし、ずっと自分が描いてきた前/後半を1.5秒差以内で走るという400mのレースが完成した。これが限界だと感じたし、今から筋力やスピードアップを狙うのは非常に困難」と考えたからだ。さらに、82年に日本新を出して以来、国内では負け知らずというひとりだけの戦いを、これからも続けていくことへの苦しさも感じた。